先日はわが国労働組合の草分け的存在となった「友愛会」を紹介したが、日中戦争の勃発を受けて、1938年から産業報国運動が始まった。戦時体制への対応として産業界は労使協調政策が第一となり、従来の労働組合はすべて解散。それまでのキリスト教的労働者扶助精神も、労働者の権利獲得のための労働争議路線もすべてなくなり、労働組合は戦時体制のもとの国家主導の組織に変質した。
その全国組織が大日本産業報国会である。
画像は、「大日本産業報国会徽章」である。アルミ製ペイント彩色で、右がオリジナルの紙袋入りのもの。紙袋は糊付けされており、完全デッドストックモノ。全体に非常に粗製濫造の印象を受ける。
このバッジはアルミ製だが、ネットを見ると異なる素材の産報バッジも確認されるので、製作年代による変化かもしれない。大政翼賛会バッジや体力章など、この時代のメジャーなバッジにはこうした素材バリエーションがよくある。
なお、この産報シンボルの意味するところが何か、調べてみたが残念ながらいまのところ不明。
産業報国会バッジは過去に紹介したことがあり、こちらはきちんとした銅質銀メッキ、七宝仕上げである。桜花型に「産業報国」の文字。今回紹介のバッジとは異なっている。また、箱にも「大日本」の文字がないことから、そもそも別組織と思われる。
ではこれら2つのバッジの違いは何かというと、1940年に成立した「大日本産業報国会」が全国的な組織で、それ以前が「産業報国会」ではないかと理解しているのだが、この辺正直自信がない。
バッジとしては両方ともいまも大量に見つかるもので、大量に製作されたものと思われる。