当ブログのアクセス数は、いつもとても少ない。その理由は、更新頻度が低いこともあるが、そもそも「内容自体がどうでもいい」せいであろう。身もふたもない。
ところが、オリンピックシーズンになると、オリンピック関連のアイテムなどを紹介しているせいか、なぜかアクセス数が伸びる傾向がある。
それもあって、まあせっかく(色んな意味で)話題の東京オリンピックのメダルを取り上げようと思う。
東京オリンピックのメダルが発表されたのは2年前のこと。これについては、メダル本体を含め、リボン、ケース、そしてメダルの実物展示についてなど、すでに数度にわたり紹介してきている。
今回は、予定から1年遅れのお披露目から2年後、いよいよ本番に登場したメダルについて取り上げる。
前回5年前のリオオリンピックに続き、「メダルの表側ってどっちなの?問題」である。
ああ、今回もまさに「どうでもいい内容」である。
バッジやメダルについこだわってしまう私などは、表彰台に立つ選手がメダルの裏面を向けてかけるのがどうも気になる。かけ方がバラバラなのである。ほとんどの選手は、メダルのどちらが表でどちらが裏なのか、全く知らないのかと思われる。
まあアスリートにとっての最高の夢舞台、表彰台に立つ選手にとって、どっちが表であろうとがどっちであろうとどうでもいいことだろう。命に代えても欲しいメダルを得た喜びに、頭も真っ白になることだろう。
まあヤボを承知で、そこをあえてツッコムとしたら・・・ということで記してみたい。
なお、5年前のリオオリンピックでは、この「メダルの裏表問題」について次のように記したが、まったく当時と気持ちは同じである。
2016-08-12(抜粋)
確かに一見わかりにくいし、どっちが表でもいいだろそんなこと!と思われるかもしれないけれど、考えてみても欲しい。みなさん、靴下をはく時に、表裏を確認しないってことはないでしょ?
一世一代の晴れ舞台で、どんな宝物より輝かしいメダルを胸にするというのに、どっちでもいいことはないと思うが・・・こういう公式な場には、それなりにプロトコルってもんがあるんじゃないか。
なお、組織委員会の公式サイトでは、「東京2020オリンピックメダル デザインコンセプト」が次のように説明されている。
うら面のデザインは、東京2020入賞メダルデザインコンペティションでご応募いただいた作品から選定され、おもて面のデザインは、国際オリンピック委員会により、パナシナイコスタジアムに立つ勝利の女神ニケ像、東京2020オリンピック競技大会の正式名称およびオリンピックシンボルの要素を含めた構図と規定されています。
(下線部追加)
というわけで、メダルの表裏は明確に決められているのである。
こっち(女神像)が表で、
こっち(大会ロゴ)が裏である。
さて、今大会では序盤から日本勢の活躍が目立つ。まあこのコロナ影響の渦中にある大会なので、大会を招待している立場の日本からすれば、こんな状況で日本ばかり獲得メダル数を量産するのもどうかなという気もするので微妙なところだが。
おかげで連日表彰台には日本人選手の姿がある。
昨日あった男子体操団体決勝戦。ロシア(厳密にはROC)と最後の最後まで接戦の末、日本チームは僅差で銀メダルとなった。
その表彰式の様子がこちら。
どうであろう。
4人とも、全員ちゃんと表面を向けているのがわかる。
実は、2016年のリオオリンピックでも同種目で日本チームが全員表側を向けていたのに私は気が付いた。これは偶然ではなく、日本体操チームはメダルの表裏をちゃんと認識しているのではないかと思った。
今回の大会で、それは確信に変わった。
表裏が完全にランダムだとすると4人とも表を向ける確率は16分の1。前大会のことを考えても、まあ偶然とはいえまい。
こちらは、日本の卓球で初めて金メダルを獲得した男女ダブルス。水谷選手(男)は裏面、伊藤選手(女)は表面を向けている(関係ないけどいい笑顔だ)。国際大会経験豊かで数々のメダルを得てきたであろう水谷・伊藤ペアでもメダルの表裏など、あまり気にしないのかもしれない。
あ、今気が付いた。
2016年のリオ大会では水谷選手は銅メダルを獲得しており、当ブログではその様子をアップしているが、前回大会でも彼は表彰式で裏面だったね・・・(ディスってるわけでは全くないので念のため。裏だっていいんですこんなの)。
次は男子柔道66キロ級。金メダルの阿部選手のみ表面だが、その他の選手は全員裏面。阿部選手が意識して表面を出しているのかどうかは不明だが、もうバラバラだ。
というわけで、なんとなくわかったことをまとめると、
・日本体操チームはメダルの表裏をきちんと認識している可能性が高い(しかも今大会に限らない)。
・ただし、他の競技団体ではバラバラ。日本でも統一的に認識されているわけではない様子。
・海外選手でもおそらくバラバラで、あまり気にしていないと思われる。
表彰式を見ていると、感慨深げにメダルを手にして眺めている選手がいる。おおこれがオリンピックメダルか・・・と興味深そうにまじまじと見ている様子が印象的だ。
表彰台に上がった選手にとっては、金でなくて悔しいメダルもあるだろう。逆に銅でも最高にうれしいメダルもあるだろう。
人生をかけて臨んだ勝負の後には、様々な思惑や打算をすべて超えて、アスリートの素の姿が現れる。試合直後のインタビューなど、興奮のあまり、選手が何を言っているんだかよくわからないことすらよくある。
私はスポーツマンではないけれど、その姿はなにかまぶしいものに見える。
そして、その栄誉の象徴こそがメダルなのである。1,2,3位を金銀銅メダルに与えるという、この巧妙な表彰システムを確立してきたからこそ、近代オリンピックが21世紀の今に至るまで、このような世界的イベントでいられるのではないかとすら思う。