徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 第1回国民体育大会参加記念章(昭和21年)

第1回国民体育大会参加記念章

先月栃木県で第77回国民体育大会が開催された。

国民体育大会、略して「国体」の名称が、国民スポーツ大会」略して「国スポ」と変わることを御存じだろうか。正式には2024年の佐賀大会から「国スポ」として新たな歴史が始まる。

法律の改正を伴う名称変更である。理由はいろいろあるのだろうが、要は「体育」というもののイメージが、時代に合わなくなってきたということだろう。それはもはやネガティブなものになってしまったのかもしれない。

精神主義」とか「体罰」とか「パワハラ」を連想させるワードになってしまったのではないかとすら疑う。それに比べれば、「スポーツ」はまだ自由さと明るさがある。歴史ある「日本体育協会」もすでに「日本スポーツ協会」に改称したのである。

国体自体も、オリンピックや各種の世界大会やワールドカップなどに比べいかにも地味、という点も否定しがたい事実。開催都道府県にとってはそれなりに大イベントではあるものの、正直全国ニュースになることも少なく、多くの国民の関心を集めている人気イベントとも言い難い。

また、「こくたい」と聞いて、真っ先に何を思い浮かべるだろうか。「国民体育大会」、「国会対策」、それから「国体ヲ護持セヨ」の「国体」。全然違う言葉なのに、どれも共通して微妙にイメージが重い。

とは言え、「こくたい」に代わる略称、「こくすぽ」という語呂もものすごく悪い。それに「体育」を「スポーツ」に代えながら、それでも「国民」の文字は残したあたりに微妙な保守性も感じてしまう(これはうがちすぎだろうか)。

さて、国民体育大会

私のイメージだと、本格版都道府県対抗運動会、という感じだが、歴史は長い。戦後昭和21年に第1回大会が開催されて以来、現在まで全国都道府県の持ち回りで毎年開催されている。ただし、複数の府県で開催された事例もある。

第1回の記念すべき大会は、近畿2府3県にまたがって開催された。終戦から約1年後、昭和21年8月に始まり、夏季、秋季、冬季の3期にわたった。戦後の混乱期にあって、平和と復興を象徴する祭典となった。

ここでやっとバッジの話になる。骨董市などでバッジを漁っていると、この国体関係バッジというのに実にたくさん出会う。シンボルマークの松明が描かれているのですぐわかる。あまりに多すぎて全く関心を持てなかったのだが、いつしか、第1回大会のバッジというのはどんなバッジだったのだろうという疑問を抱くようになった。

それが画像のバッジである。

中央に松明、周りには木の葉が描かれている。菊の葉かとおもったが、よく見るとドングリがある。とするとブナ科の木だろうか。波打つ葉の形から、コナラやミズナラの類ではないかと考える。

なぜ?開催府県の木にでもなっているのかと思えばそういう事実もなく(昭和20年初めに都道府県の木の制定はないようだ)、なぜこの木の葉が描かれているのかは不明である。

バッジ全体のイメージとしては、ごくまじめでおとなしい感じだが、透かし彫りが施してあったり微妙に凝っている

国体は第2回大会以降、石川県、福岡県、東京都・・・と基本的に都道府県単位で開催されてきた(いずれも夏・秋大会)。そうして多くの記念バッジが作られ、今に至っている。

個人的には、国スポに変わる機会に、長らく国体のシンボルであった「松明マーク」も変えるのもイメージ刷新にはいいんじゃないかと思うけどどうだろう。