徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 エルトグルル(エルトゥールル)号吊魂碑(弔魂碑)除幕式記念章

エルトグルル号吊魂碑除幕式記念章(昭和12年


2月6日にトルコ南東部のシリア国境に近い地域で大規模な地震が発生、現時点でシリアと合わせて4万人以上の犠牲者が出たというからすさまじい。現場の画像を見ても建物が原形をとどめないほどに崩壊している様子がわかる。

現地の救援のため、日本でも盛んに募金運動が行われている。そして、トルコと日本の絆、ということでしばしば取り上げられるのが、トルコ軍艦エルトゥールル号の遭難事件である。

明治23年9月16日、オスマントルコ最初の使節団を載せたエルトゥールル号(全長76.3m、幅13.3mの木造軍艦)が、天皇への謁見を終え帰国する途中、和歌山県南端の串本町紀伊大島沖で遭難。島民の献身的救助活動により69名を救助したが、580余名の乗組員が犠牲となった、という事件である。救助された乗組員は現地で手厚く介抱された後、日本海軍軍艦により本国へ送り届けられた。

この事件はトルコ国内ではよく知られている逸話らしく、ためにトルコは親日感情が厚いとも言われている。

画像のバッジは、昭和12年に弔魂碑が改修された時の記念章である。

表面はトルコ国旗と日本の旭日旗、錨に救助具の意匠。裏面には「ERTUGRUL ANITI ACILISI 3-6-1937 エルトグルル号 吊魂碑除幕式記念」とある。

余談ながら、このメダルはオリジナルの桐箱入りで、箱裏には「内外徽章製作所謹製」とある。このブログではおなじみの神田神保町にあるバッジメーカーである。

この吊魂碑(吊魂=弔魂なので、以下「弔魂碑」と表記する)、昭和12年のタイミングで初めてできたものではない。

現地の案内文によると、明治23年の事故当時、引き上げられた遺体をこの地に埋葬し、翌明治24年に墓碑と慰霊碑が建立されたという。この碑は昭和4年昭和天皇の樫野崎行幸を聞いたトルコ共和国ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領が、新たに慰霊碑を建立することを決定、トルコ共和国の資金により昭和12年6月3日に完成したもの、とある。

ずいぶん昔になるが、私も和歌山に行ったときぜひ現地を訪れてみたいと思って、記念碑や記念館を見学してきた。その時の写真もついでなので載せておく。

メダルに描かれているデザインと、碑の中央のものと全く同じである。周りに不釣り合いなほど立派で巨大な碑である。

トルコ軍艦遭難慰霊碑

トルコ記念館から見る事故現場


記念碑の近くにはトルコ記念館があり、この記念館から遭難現場がすぐ近くに見える。かなり陸地に近いのが意外で、よほど台風で流されたのかと思った。

現場を訪れた直後にたまたま入手できたこのメダル、和歌山旅行とともに懐かしく思い出した。