徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 1936年「東京オリンピック招致記念」帯留め

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なんだかんだと競技以外の部分でさんざん世界中に論争を巻き起こしてきた北京オリンピックが、今夜ついに開幕した。こうなった以上、閉幕まで無事に済むことをもう祈るばかりだ。

さて、この記念の日にこのブログでなにを取り上げようかなーと考えていたのだが、オリンピックつながりということでこれにした。
幻の1940年東京オリンピックの招致記念帯留」である(バッジじゃないけど、まあ似たようなものだよね?)。

1940年=昭和15年は、皇紀2600年の年に当たる。この国家的イベントをさらに盛り上げるため、当時の東京市長が思いついたのが東京にオリンピックを招致することであった。1931年、東京市議会は招致を決議したものの、ヨーロッパからは遙かに遠隔地であり、かつスポーツ先進国であるわけでもない日本への招致は、当初からハードルが高いものであった。
が、関係者の涙ぐましい尽力と僥倖によって、1936年、東京での開催権を勝ち取った。もつれにもつれた末の、ギリギリの勝利であった。この決定に、日本中が沸いた。

この帯留めは、その時の記念品。招致決定がいかに祝福で迎えられたかを示す品でもある。
表には「オリムピック招致記念 N.R.R.(「日本陸上連盟」の略)」、裏には「第十二回オリムピック招東京決定記念 女子地域対抗陸上競技会 参加章 2596(=1936年)」とある。
全体は桜の花びら型のようだ。全体に銀製で、厚みのあるツクリだ。
「日の丸にN.R.R.」は、日本陸上連盟のシンボルマークである。なお、陸連の現在の略章はJAAFである。

ところが、1937年から始まる日中戦争によって事態は急変する。1931年以来、満州国問題でオリンピック委員会の中でも批判されていた日本の立場は、さらに苦しくなる。事変の早期解決を口にする日本代表の言葉とは裏腹に、日中の争いは激しさを増していった。
それだけではない。日本国内の世論も、次第にオリンピック開催に批判的になっていく。
物資不足に悩む軍部は断固オリンピックに反対、開催を批判する政治家も続出し、大衆世論もしだいにオリンピック熱が冷めていく。「事変」と言いくるめようとなんだろうと、事実当時は中国との戦争に突入していた。国際平和とスポーツの祭典、などというオリンピックの理念自体、すでに日本では受け入れる余地がなくなっていたのである。
それでも推進派は、開催規模を縮小しようとしてでも、なんとしても開催にこぎ着けようと必死の努力を重ねたのである。

が、ついに力尽きる。施設建設の計画は遅延に遅延を重ね、国内外からの反対はますます続出、財政不足は一向に解消されず・・・やるのか、やめるのか。正式に開催権を返上したのは、開催決定から約1年半後の1938年7月である。
東京で五輪を開催しようという試みは、すべて、無に帰したのだった。なんという壮大な無駄・・・

1940年の東京オリンピック関連グッズは、けっこう作られたのかたまに見かけるが、何とも切ない気分になる。まあそのカタキは、1964年にとったといえるかもしれないけど。
まあ当時の混乱を思えば、今の北京オリンピックの混乱なんて、2016年開催の東京招致活動だって、大したことないよ・・・と少しは大らかな気分にもなろうというものだ。
あれよりはマシ、と思えば。そうでもない?