徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 「常勝関西」バッジ(創価学会)

常勝関西バッジ

10月27日に行われた衆議院議員選挙では、これまで自民党単独過半数である247議席を56も減らし、191議席となった。政治とカネの問題が焦点となっていた今回の選挙では、自民党がどこまで減ることはすでに織り込み済みであったが、意外であったのは、公明党まで大きく負けたことだ。

公明党は改選前の32議席が24議席になり、1/4も減らしたのである。

公明党がいくら自民党とは異なる政治的清廉潔癖を自認していても、国民にとっては自民党の仲間としか見えなかった、ということなのではないか。

特に、公明党がこだわる「常勝関西」のスローガンに大きく傷がついた。この「常勝関西」というのは、創価学会の人以外には、今ドキどこまで知られているかわからないが、今回の敗北は公明党創価学会にとっては、大きなショックであった。

大阪は支持母体の創価学会が「常勝関西」と呼ばれる強固な地盤を築いてきたが、公明候補が小選挙区で全敗するのは、旧民主党政権交代を果たした2009年以来の事態になる。
 公明が大阪で議席を守ってきたのは3区と5区、6区、16区の計4選挙区。
 中でも3区は、昨年亡くなった池田大作名誉会長が域内の大阪市西成区に滞在し、布教活動で関西進出の足がかりを築いた「聖地」とされる特別な場所だ。1956年参院選では大阪で陣頭指揮を執り、学会推薦の候補を初めて国政に送り出した。

(10月28日、毎日新聞「公明、「常勝関西」崩壊へ 大阪4選挙区で全敗の公算大 衆院選」より抜粋)

このような事態になったのは、同じく関西を基盤とする日本維新の会とのバッティングが大きな要因であった。が、それだけではない。

比例代表の得票数も公明党は大きく票を減らしているからだ。比例代表得票数は、前回選挙と比べて自民党は533万票減の1,458万票、公明党も114万票減の596万票となっている。自民党と与党を組む公明党への批判は、厳しかった。

創価学会の指導者・池田大作氏は昨年11月死去した。会員の高齢化と減少という問題を抱える創価学会にとって、シンボルであり精神的支柱であった池田氏の死去は、一層の退潮要因にしかならないのではないか。

当時「実際の指揮はすでに引いており特に影響はない」という意味の学会幹部のコメントもあったが、逆に、それは組織の退潮がすでにそこまで進んでいることの表れのように私には感じられた。

ということで、今日の一枚は「常勝関西」のスローガンバッジである。「josho kansai」。

バタフライクラッチ式のバッジで比較的新しいもののように見える。こういう状況になっては、どこか空しく響くスローガンだが、今後大阪の「聖地」地盤を公明党が取り返すことができるであろうか。注目である。

なお、池田大作作詞の「常勝の空」という曲(1978年作)は、今も学会員に愛唱されているという(ペンネーム山本伸一の名で発表されている)。

私はかつて、一体どんな曲なのか興味があってネットで聞いたことがあるが、これが思った以上のバリバリの軍歌調。知らない人に「戦時中に大阪の連隊で流行った軍歌だよ」と言って聞かせたら、歌詞の内容と言い、曲調と言い、まず100%疑われないだろうと思われる。

ただ妙に耳に残る曲で、私も聞いてからしばらくの間、自転車に乗りながら「いーまー、ふたたびのー♪」と口ずさんでいたほどだ。

ぜひ知らない人は聞いてほしい(youtubeなどでたくさん公開されている)。

 

「常勝の空」 作詞 : 山本伸一 作曲 : 杉野泰彦
1 今再びの 陣列に 君と 我とは 久遠(くおん)より
 誓いの友と 春の曲 愛する関西 勇み立て
2 我等の誉れ 錦州城(きんのしろ) 常勝の空 晴ればれと
 凱歌の友の 雄叫びは 波濤(はとう)の如く 天に舞え
3 ああ関西の 行進に 諸天の旗も 色冴えて
 護りに護らん 我が友を いざや前進 恐れなく いざや前進 恐れなく

 

日本 兵庫県議会章

兵庫県議会章

知事を巡る一連の問題で、連日ニュースで注目を集めている兵庫県

県議会では、知事に対する不信任決議案が全会一致で可決し、今後は知事が今月29日までに辞職・失職するか、県議会を解散するかを選択することになる。現時点ではどちらになるか不明である。

まあ普通に考えれば、もし知事が県議会を解散させたところで知事への不信任問題は解決しないので、議会解散の可能性は低そうに思うが、どうなるか予断を許さない。

数ある報道の中で、しょうもないことで職員を怒鳴りつけたり、執拗に叱責したというエピソードの数々は、多くの雇用労働者に強い嫌悪感を催すに違いなく、兵庫県自体のイメージも失墜した。

まあ実際には、他にも様々な問題・疑惑があって、真実はこれから明らかになっていくのだろうが、いろいろ問題の多い人物であることは察しがつく。これまでずっと知事を支持していた維新の会ですら、ついにサジを投げ不信任案に賛成したことからも、状況はほぼ明らかなのではないか。

 

そんな兵庫県議会議員のバッジを紹介しよう。

時代は不明だが、昭和初期のモノではないかと想像する。「兵」の字をデザイン化したバッジであり、兵庫県の公式サイトでは、「県徽章」と紹介されている。

https://web.pref.hyogo.lg.jp/ac02/kids_si.html

https://web.pref.hyogo.lg.jp/ac02/images/kenkisyou2.jpg

兵庫県徽章(大正10年制定)

https://web.pref.hyogo.lg.jp/ac02/images/kenki2.jpg

兵庫県旗(昭和39年制定)

 

県徽章(他県では「県章」と呼ばれることが多い)と県旗のデザインが全然違うというのがちょっと不思議ではある。普通は県章をそのまま県旗のデザインにしているからである。愛媛県などでも県章と県旗が異なる例もあるようだが、かなり例外的である。

現在の兵庫県では、県旗デザインのほうが広く使われているようである。私は以前、知り合いの現役の兵庫県職員にこの問題を聞いたことがあったが、この四角い県徽章は「昔は使っていたみたいだね」などと言っていたくらいで、どうも影が薄いようだ。

実際、その証拠に、兵庫県公式サイトの「兵庫県のシンボル」という上記とは別のページでは、県旗しか紹介されていない。

https://web.pref.hyogo.lg.jp/ac02/symbol.html

県の公式見解としては、どちらのデザインも県シンボルとしては「正しい」のであって、ただ現在一般に県旗のほうが広く使われている、というのに過ぎないようだ。

私が想像するに、県徽章のデザインの評判があまりよくなく、とはいえ正式に決めたものを廃するほどの積極的理由にも欠けるので、県旗を新たに作り、こちらを事実上の正式シンボルにすり替えた、ということではないか。

さて、バッジである。

黒染めした丸く膨らんだ土台に、おそらくは銀象嵌であろうか、花型模様を施し、兵庫県シンボルを金色の別パーツで嵌め込んだ、よく見ると手の込んだ作りになっている。

県議会議員章としては比較的小型でさりげないが、非常に丁寧で高級感あるツクリになっている。裏面には、「兵庫県会議員」と文字がある。

個人的にも、古い県議会バッジの中で、割と好きな一品である。

 

オリンピックメダルの劣化とは? 2024年パリオリンピックで大問題に

世界最大のイベントであるオリンピックは、実際の開催期間は2週間程度である。始まったなあと思っているうちに終わってしまうのである。なんだかんだで今回もいろんな話題を巻き起こした2024年のパリ大会は、8月11日に閉幕した。

 

その後もオリンピックにまつわる報道が続いたが、わたしが気になったのは、「メダル劣化問題」であった。アスリートにとって、最高の栄誉であり、命に代えても欲しいのが、オリンピックメダルだ。それが、授与されてわずか数日で変色劣化を生じ、問題になっているという。

パリ大会では、金メダルは、95%以上の銀に金メッキ(ただし金含有量6g以上と決められているので、相当分厚い金張りではある。)、銀メダルは95%以上の銀、銅メダルは銅に亜鉛等を加えたる銅合金であるという。

https://pbs.twimg.com/media/GUfxwUVXEAA8Uyw?format=jpg&name=medium

スケートボード男子ストリートの銅メダリスト、ナイジャ・ヒューストンの銅メダル)

 

この投稿が発端となり、その後次々にメダル劣化問題が次々と発覚することとなった。

 

そりゃあまあ、10円玉でも新品はキラキラしているのが、そのうち茶色く変色するのだから、むき出し状態ではメダルも少しは変色くらいするだろう、くらいに思っていたのだが、その画像を見て、うーんこれは確かに気になるかも。

なにせ、もらってから1週間ほどしかたっていない状態でこれなのだ。

 

オリンピックメダルでは、変色を防ぐための表面塗装を施しているらしい。

確か東京大会でも、「こすったらメダルの表面がはがれた」と不満を表明した選手の記事を見たことがあって、私は「剥がれた」ってどういうことだろうと当時不思議に思った。

www.j-cast.com

 

その後、どうやらメダル本体ではなく、「メダルの地金表面に施された防護塗膜の剥離」のことを指しているらしいことがわかった。東京大会でもあったのだから、パリ大会でも同様のことはあるだろう、と最初は思っていたのだが、どうもパリ大会のメダル品質には多くのアスリートが問題視していて、問題の大きさは東京大会の比ではないことがわかってきた。

パリ大会のメダルは、宝飾メーカーのショーメがデザインし、フランスの国家通貨製造機関であるパリ造幣局が製造に当たった。製造されたオリンピックメダルの数は、5,084個。

ニュースを見ていると、銅メダルで問題が多く発生しているようだ。そのほか、金メダルの色が悪いという情報もあった。3年前の東京大会の金メダルはまだ光り輝いているのに、パリ大会の金メダルはもうくすんだ色をしている、という比較動画もアップされた(TOKYO vs PARIS)。

https://twitter.com/i/status/18225885123376

 

日本選手では、フェンシングの金メダリスト松山恭助選手がX上で報告している。

傷はあんまりついてないけど、なんか少しはげてきてる??

これは半年後、1年後はどうなってる?笑

https://x.com/kyosuke_1219/status/1823700628012720359

たしかに、左下から下側の縁に近い部分に、剥離の痕跡が見える。

 

振り回したり、メダルをかけて飛び跳ねていたらリボンをメダルとつなぐ金具がとれてメダルが落ちた、もっと頑丈に作るべき、というのもあったがこれはどうなのだろう。品質問題と言っていいのか、これは?

news.yahoo.co.jp

 

パリ造幣局はオリンピックメダルの製造経験が少ないのではないか、と疑問を持つところ、少ないどころか、世界にここほど多くのオリンピックメダルの製造実績を持っているところはないかもしれない。

ギリシャアテネで近代オリンピックが初めて開催された1896年から、メダルはフランスのモネ・ド・パリによって作られている。

「当時、ギリシャ造幣局はメダルの作り方を知りませんでした。彼らは私たちに依頼してきたのです。その後、モネ・ド・パリは1900年、1924年パリオリンピック1924年シャモニー冬季オリンピック、1992年のアルベールビル冬季オリンピック、そしてパラリンピックも含めてメダル製作を繰り返し手がけてきました」と、モネ・ド・パリの会長兼CEOであるマーク・シュワルツ氏は述べた。

「オリンピック・パラリンピックメダル製作の舞台裏」より引用

※「モネ・ド・パリ」とは「パリ造幣局」のことです。

 

olympics.com

 

え、じゃあなんで劣化問題が発生しているの?と誰しも疑問を抱くことだろうが、その原因は不明だ。

パリ造幣局では、申し出があれば調査の上交換に応じるとしている。実際には、表彰台でもらったメダルを大切にしたいと考えるアスリートも多いようなので、どれほどの交換要求があるかは疑問である。しかし、すべてのメダルを交換するとなるとおそらく膨大なコストが発生するはずで、もはや取り返しのつかない問題となってしまっている。子々孫々まで栄光の記念として残されるであろうオリンピックメダル。パリ大会のメダルがボロボロの状態で伝わっていったら、大会の不名誉な記憶として、未来に引き継がれていってしまうのだ。

また、始まったばかりのパラリンピックのメダルでも同様の問題が起こることは確実で、担当者にとっては頭の痛い問題だろう。

 

なお、余談ながら、わたしのコレクションしているバッジも古いものが多いため、劣化問題は割と深刻な問題である。汚れやさびのついたバッジは、古服の柔らかい生地を小さく切ったものに油をつけてふき取るようにしている。

パリオリンピック馬術競技の馬用メダル(リボン)

毎度のことながら、オリンピック時期になると、当ブログのアクセス数が急増する。オリンピックメダル関係の投稿にアクセスが集まるのだ。

今大会のオリンピックメダルは、六角形の本物のエッフェル塔からとった素材のパーツが遠目にも印象的だった。実は、わたしは東京大会メダルを割と高く評価していたのだが、遠目にもはっきりわかる今回のメダルのほうが、まあパッと見は目立つことは否めない。

(ただ、パリ大会のメダルは、品質劣化が問題視されているのが気になる)

 

さて、今日は、オリンピックの例外的な特別のメダルを紹介しよう。

人間用ではなく、馬用メダル(リボン)である。

今回、総合馬術団体の日本チームは、銅メダルを獲得した。メダル獲得は、全ての馬術競技を通じてもバロン西以来の92年ぶりというのだから、ずいぶんなことだ。

先日、偶然、オリンピックの特別番組を見ていたら、馬術チームが馬用メダル(リボン)を披露していたので、初めてはっきり見ることができた。

 

直径は15cm程度だろうか。中央に金色の大会ロゴの入ったメダルがはめられ、その周囲に、紫、ピンク、緑のリボンで縁取られている。メダルからは長いリボンが垂れており、そこには「PARIS 2024」と記されていた。

 

これが馬にメダルをつけた状態である。馬の左耳下に、緑色の丸いリボンの裏面が見える。

www.yomiuri.co.jp

 

奇麗に写った画像が見つからないので、代わりに、東京大会のものを紹介する。東京大会でも、ロゴの入ったメダルがリボンに彩られている。

https://pbs.twimg.com/media/E7ydTLOVEAMBs5I.jpg

 

今までわたしは、馬術競技は、騎手もさることながら馬こそが賞賛されるべきでは、と思っていたところだ。馬もメダルがもらえることには、少しほっこりした人も多かったようだ。

もっとも、馬にとっては、メダルよりもニンジンでももらったほうがうれしいとは思うのだけど。

2024パリオリンピックのメダリスト・バッジ

2024パリオリンピックが今日、閉幕した。

開会式当日、高速鉄道の破壊工作が発生し、大会の安全性が懸念されたが、とりあえずテロ事件など大きな事件もなく一応終了することができた(小さな運営上のトラブルは数多くあったろうが)。関係者にとってはさぞ安堵したことだろう。

オリンピックといえば、メダル争奪戦というシステムがこの巨大なスポーツ大会を支えているのだと思う。金銀銅のメダルを廃止したオリンピックを想像してみてほしい。いかにこの小道具が重要な役割を果たしているかわかるだろう。

せっかくなので、パリ五輪に関するネタでも書いておこう。

 

実は、オリンピックメダルの外にも、あまり知られていないことだがIOC公式のバッジが存在している。

パリ大会に登場したIOCのバッハ会長は、相変わらず例のバッジを常に身につけていた。遠目には、鳥の羽を広げたような、金色のバッジ。

これは「金メダリストバッジ」である。

https://img.olympics.com/images/image/private/t_s_16_9_g_auto/t_s_w1460/f_auto/primary/sx1ni9w5e5a7narle5so

 

これについては、2021年に開催された東京大会の時も触れた。

badge-culture.hatenablog.com

一部過去記事を引用する。

ここで気になるのが、なぜバッハ会長はいつもメダリストバッジをつけているのか、という点である。

歴代の9人のIOC会長のうち、オリンピックメダリストは、バッハ会長のみである。しかも金メダリストだ。(略)

IOCの会長に就任するような人が、政治力や経済力に無縁な人物でないはずがない。しかしバッハ氏は、IOC会長である正統性を、自身が金メダリストである事実によって、主張したいのではないかという気がする。

(ところで、バッハ会長は、来年2025年、12年間続けたIOC会長職を退くという。巨大な利権を有するIOCの新会長に誰がなるのかが注目される)

オリンピックのメダルには、勲章に略章がついてくるのと同じように、メダリストバッジが付属してくるのである。金メダルだけでなく、銀、銅のメダルにも同様についてくる。

もちろん、今回のパリ大会でも同様である。

 

フェンシング男子エペ個人で金メダルを獲得した加納虹輝選手が、Xで金メダルとメダルケースの画像を投稿してくれていて、参考になる。

https://pbs.twimg.com/media/GTvvpTdXUAADTGg?format=jpg&name=small

観音開き型メダルケースの下部に、小さなピンバッジが見て取れる。

説明書きが見える。

An Olympic medal is forever—so you can wear your Olympic medalist pin with great pride every day.

500g以上もある大きなメダルの代わりに、日用品として、メダルピンが付属しているのである。

まあ実際このバッジを毎日つけるメダリストがどれだけいるかよくわからないが(バッハ氏以外に見たことがない気がするので)、なかなか細かい配慮である。

なお、メダルはフランスの造幣局製だが、バッジのほうは、IOC御用達のイタリアミラノにあるBERTONI社製であると思われる。

今度こそついに登場、北朝鮮の金正恩バッジ!

6/30、朝鮮労働党中央委員会で確認された「金正恩バッジ」

 

金正恩バッジが、初めて写真で捉えられた。やっと金正恩バッジの存在が明らかになったのだ。

かつて2010年末頃、外電で金正恩バッジの登場が報道された時、私は極めて懐疑的で、現物の写真なりが確認できない限りは信じないと書いた。金日成・正日・正恩の3人が並んだバッジが登場したとまで書いてあったのだ。あれ一体どうなったの?

badge-culture.hatenablog.com

badge-culture.hatenablog.com

私の疑念は当たっていたのではないかと考えている。まあ当時本当に実物が存在したが、今になってそれが公になった、という可能性もなくはないが、バッジはその存在を他人に明らかにすることが目的なのであって、これだけ長年公にされなかったのは、やはり実際には当時存在しなかったのではないかと思っている。

記事には次のようにある。

金正恩バッジ」初登場…父・金正日総書記が50歳で行った偶像化を自身は40歳で実行


北朝鮮の公式の場で金正恩キム・ジョンウン)総書記が単独で描かれた肖像記章と呼ばれるバッジの胸に着用されている様子が初めて確認された。北朝鮮の労働新聞は6月30日、前日開催された朝鮮労働党中央委員会全員会議の2日目の様子を伝える記事で、党、政府、軍の幹部らの写真を掲載したが、彼らは全員が金正恩バッジを着用していた。この写真は北朝鮮の対外メディアである朝鮮中央通信でも公開された。(後略)

朝鮮日報 2024.7.1)

 

それが、冒頭の画像である。

バッジを詳しく見てみよう。画像が小さくて詳細がよくわからないのが歯がゆいが、いろいろわかる点がある。

タイプとしては、いわゆる「党旗型の全赤タイプ」である。バッジ左上に朝鮮労働党の党徽が金色に見える。

北朝鮮の党旗型バッジにもいろいろあるが、肖像の周りが丸く白抜きになっているものと、白抜きがなく全体が赤いものとがある。金日成バッジの場合、白抜きタイプのほうが古く、遅くとも1980年からあり、全赤タイプの登場は90年代末~2000年代当初以降、と考えている。

また、今回の金正恩の写真自体は、2019年に国務委員長に推戴された時のものという。服装は、党性をアピールするいわゆる人民服ではなく、黒っぽいネクタイスーツ姿である。ネクタイスーツ姿のバッジは金日成バッジでも時代の前後はほぼ関係なく混在しているので、この点は特に違和感はない。バリエーションとして人民服バッジが存在するかというのはちょっと気にはなるが。

おそらく全体の型自体は、これまでの党旗バッジとほとんど同じようだ。旗のカーブ、旗竿・旗頭の形状なども、これまで金日成時代から全く変化がないように見える。金正恩バッジは新たな自分の時代をアピールする目的があったと思われるが、その反面バッジ自体は極めて前例踏襲式である。要するに、顔の部分をつけかえただけのバッジである。

色々調べていて、一番参考になったのは、7月9日公開のYoutube高英起チャンネル」であった。非常におもしろかった。

www.youtube.com


高氏は、先日7月8日の金日成主席逝去30周年中央追悼大会で、前列3列の幹部は金正恩バッジをつけており、それ以下の序列の幹部は金日成金正日の「双像バッジ」をつけていたことを解説している。高英起氏はこれについて、金日成に対するある意味の「当てつけ・冒涜」であるとしている。金日成金正日よりも、自分のほうが上位であることを、バッジでもって金日成の参拝の席で表明した見せたのだ。

なお毎年行われている錦繍山太陽宮殿(金日成金正日の遺体が安置されている)の参拝における金正恩のバッジ佩用の有無の変化を検証している。まとめると次のようになる。
2012 あり
2013 あり
2014 あり
2015 なし
2016 なし
2017 なし
2018 (参拝せず)
2019 あり
2020 なし
2021 あり
2022 なし
2023 (写真なし)

バッジをつけたりつけなかったり、ハッキリとしていない。が、当初は着けていたがだんだんバラバラになってきた感がある。

高氏によると、金正恩は今年の金日成逝去30年をある意味区切りとし、金正恩時代をアピールしたのではないかと考察。さらに、「5年後はもう全員が金正恩バッジになっているのではないか」、と語っている。その意図としては、娘への権力継承上、朝鮮半島の統一という目的を捨てた、全く新しい金正恩による北朝鮮の確立をこれ以上遅らせることができず、あえて過去の権力の矮小化に踏み切った可能性を示唆している。

 

大いに納得した。金正恩が「自分主導の時代」をアピールし、祖父や父親からの脱却を隠そうとしていないことの表れであることは確かだろう。金家3代バッジではない、金正恩単独のバッジという点が、なにより象徴的だと思う。

しかし、私自身は、金正恩は政治アイテムである肖像バッジには、あまり興味がないのではないかと以前から疑っている。金正恩が最高指導者に就任してからは、2012年頃に「双像バッジ」が登場し、さあ新しいバッジがどんどん出てくるぞ、と関心を持っていたところ、私の知る限りそれ以来10年以上も新たなバッジの登場が見られなかったからだ。

このアイテムに関心があれば、少なくとも金日成バッジや金正日バッジをリニューアルし、新しい時代の象徴的グッズとしてもよさそうなところ、そのようなこだわりはほとんどないことが伺える。それを考えると、先代の金正日はバッジに強い関心を持っていたのだろう。

そんなわけで、金正恩バッジはやっと登場したものの、これ以上の進展はあまり期待できないんじゃないかと思っている。このままいけば、彼の娘が金王朝4代目ということになりそうな流れだが、ああ、その頃にはこの北朝鮮のバッジ文化はどうなっていることだろう。まあバッジどころじゃないような気もするが。

 

ともあれ、いつか金正恩バッジの実物を手にして詳細に検討してみたいと思う。高英起が予想するように、金正恩バッジがどんどん普及していくとすれば、入手は難しくないかもしれない。バッジから時代の変化がどこまで読み取れるか、関心がある。

 

バッジの脇役、「バタフライクラッチ」について ~「ピンズファクトリー」記事より~

ご無沙汰です。

本当に、いつものことながら新年度というのは慌ただしく、自然とブログの投稿から離れてしまう。いやネタはいろいろあるんだけど。それでもしばらくたつと仕事の環境に慣れて心の余裕が生まれるのか、そうするとブログでも書こうかなーという心境になる。不思議だ。

 

さて、今日はバッジの脇役というべき、バタフライクラッチについて取り上げる。

バッジ製作メーカー「ピンズファクトリ―」の公式サイトに「バッジの読み物」が掲載されていて、その内容を引用し、実物を見ながら書いてみたい。

さて、バッジには服に取り付けるためのツクリが不可欠である。安全ピンタイプ、ハットピン(スティック)タイプ、ネジ留めタイプ、船足タイプなど、さまざまである。

現在最もポピュラーなのが「針とクラッチ」を使ったタイプである。バッジ裏面についた針を服に刺し、裏面からその針に留め具(クラッチ)を差し込んでバッジを固定するのである。便利で製作も安価なので広く普及している。このタイプのバッジは、ピンズなどとも呼ばれることも多い。

バタフライクラッチ

ピンズファクトリーの「ピンバッジの誕生とバタフライクラッチの歴史」では、クラッチの中でも最も一般的なバタフライクラッチについて詳しく記述されていて、これが非常におもしろかった。

www.pins.co.jp

ピンバッジの代表的なアタッチメントであり、ピンバッジのイメージを決定づけるバタフライクラッチはどのようにして生まれたのでしょうか?その生みの親はアメリカの宝飾部品メーカーであるバロー社(B.A.BALLOU&CO.INC.)という企業でした。(略)

このバタフライクラッチは1942年に特許が取得されて以降、ピンバッジの留め具(アタッチメント)として世界中に広まっていきました。もしバロー社製のバタフライクラッチを使用しているピンバッチを見つけたらそのバタフライクラッチの裏面をご覧になってみてください。そこには必ず”BALLOU REG’D”の文字の刻印を見つけられるはずです。”REG’D”とはREGISTEREDの略称で「登録済み」を意味していて、つまりこのバタフライクラッチが特許登録済みということを表しています。直径13mmにも満たない小さな部品とはいえ、生み出されるべき背景と確固たる歴史があったのですね。

(バタフライクラッチの誕生)

ただし、バタフライクラッチのすべてがバロー社製というわけではない。どう見てもその他社製のバタフライクラッチのほうが圧倒的に多そうなのだ。両者の間には品質上の差があるという。

さて、それでは同じバタフライクラッチでもバロー社ブランドとノンブランドとでは何が違うのでしょうか?まずバタフライクラッチは1枚の金属板から切り出しと加工を経て製造されますが、ノンブランドの金属の板厚が0.25mmに対してバロー社ブランドのバタフライクラッチの板厚は0.35mmと金属の厚みが増しています。たった0.1mmの厚さの違いですが、それによってノンブランドと比較して針が突き抜けにくくなっています。特別に意図して力を加えれば別ですが、通常の使用ではまず突き抜けることはないでしょう。また、はじめは留め付け時のツマミに固さを感じるものの、かっちりと留め付けることが出来る感触はノンブランドにはない安定感と言えます。装着時における外れにくさや脱着回数の耐久度も比較的に高く、好んで選定される理由があることもうなずけます。※当社内の品質検査では、バロー社ブランドのバタフライクラッチは耐用回数や引張強度においてノンブランドより優れていることを確認しています。

(バロー社製バタフライクラッチの特徴とその価値)

 

そうだったのか、とこれは新発見であった。バタフライクラッチの刻印など、マジマジと見たことがなかった。

さっそく自分のコレクションにあるバタフライクラッチをチェックしてみた。ところが、あまりにもありふれていて、いくらでもあると思っていたバタフライクラッチが意外と私のコレクション中にそれほど多くないことに気がついた。あるのはオリンピック関係のものくらいか。そう、バタフライクラッチが発明されたのは1942年のことで、それ以前には存在しないのだった。

確認したほとんどのバタフライクラッチはここでいう「ノンブランド」なのであろう、無字のタイプであった。が、中にはいくつかのバロー社製バタフライクラッチを発見することができた。2つのタイプの刻印があったので、まずはそれを見ていこう。

バタフライクラッチの刻印

 

画像の左から2つがバロー社製で、刻印は「BALLOU REG’D 130YEARS」、「BALLOU REG’D」。一番右が比較用のノンブランド品らしき無刻印のもの。バロー社のクラッチの刻印はこの2つが多いようだ(他にもあるかもしれないが不明)。

なお、バロー社は1868年創業なので、130周年は1998年となる。したがって、「130 YEARS」の刻印があるものは少なくとも1998年以降のもの、ということになる。

ノンブランドの金属の板厚が0.25mmに対してバロー社ブランドのバタフライクラッチの板厚は0.35mmと金属の厚みが増しています。」という点については、実際どうなのだろう。試しにバタフライ状のつまみを指でつまんでみると、確かにバロー社製のほうが弾力が固く、ノンブランドのほうが柔らかい。明らかに差を感じるほどだ。バロー社製かノンブランドか、感触だけでも判別することが可能だ。

これは発見だった。これだけ弾力に差があれば「耐用回数や引張強度」も当然変わってくるだろうと思われる。

また、記事では「ノンブランドと比較して針が突き抜けにくくなっています」とあり、私も経験上、過去使っていたバッジのバタフライクラッチは、針が当たって穴が開き、針先が突き抜けていたことがあった。あれはきっとノンブランドだったのかも。

ピンバッジコレクターの間では、ピンバッジにバロー社ブランドのバタフライクラッチが装着されているか否かもピンバッジの価値を図るポイントとなっていると聞きます。バロー社ブランドのバタフライクラッチはノンブランドと比べて製造コストが若干高いのですが、おそらくピンバッジコレクターは“それ故”に製造個数が少ないのではないかと推察し、そこに希少価値を見出しているためだというのが一説です。逆にピンバッジを製作する側の企業としては、そのピンバッジの重要さや貴重さに見合った仕様にするために、バロー社ブランドのバタフライクラッチを採用してピンバッチに特別感を醸成させるケースも見られます。

(バロー社製バタフライクラッチの特徴とその価値)

バタフライクラッチの刻印を見て、「おっ、これ高級なクラッチ使ってるね」と感じるカスタマーがどれだけいるのか私にはわからないが、これもこだわりどころということか。まあそんなのバッジマニアくらいじゃないかなーという気がする。

ただまあ、私の趣味から言わせてもらえれば、バタフライクラッチ自体がそもそも安価なクラッチであり、バロー社製であろうがなかろうが価値の差はそんなにないような気もする。私は、昔ながらのネジ止め式のほうが好きである。

バロー社ではバタフライクラッチの材料確保が難しいことと、従来のバロー社製バタフライクラッチの品質を保った生産が行える体制ではないことから、現在はここで説明しているようないわゆる「バロー社製バタフライクラッチ」を入手することがほぼ不可能な状況です。したがって現在はお客様に「バロー社製バタフライクラッチ」をご提供することができません。

というわけで、どうやら世間的には完全にノンブランド品が席巻している状態のようだ。これはこれで味気ない気もするな。

 

バタフライクラッチを巡る知識など、無駄といえば無駄の極みであろう。

しかし、バッジを見るときに「あ、このクラッチ、バロー社製だね。このバネの感触だけですぐにわかったよ。最近じゃ珍しいな。高級品こだわって使ってるねえ」などと、言って周りの人をけむに巻くのも楽しいかもしれない。

私としては、さすが業界のプロの情報は違うなーと感心しながらピンズファクトリーのこの記事を読んだ。

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