最近なにかと話題のマイナンバーカード。以前取得したときに、「臓器提供意思」の欄が小さく印刷されているのに気付いた。
臓器提供意思
1脳死後及び心停止した死後/2心停止した死後のみ/3提供せず
<1・2で提供したくない臓器があればX>【心臓・肺・肝臓・腎臓・脾臓・小腸・眼球】
署名年月日 年 月 日 署名
自動車運転免許証の裏面にも同様の印刷があって、私は見るたび迷いを覚える。一体どれくらい多くの人が悩みながら記入しているのだろうか、と考える。
「提供せず」、という選択肢もあるので、臓器提供に抵抗があるならここに丸印を入れればよい。それは個人の自由だ。ただ、臓器移植でしか救えない命や、健康に悩む人がいるのも事実である。将来、再生医療技術が完全に実用化されれば臓器提供問題は解決するのかもしれないが、まだかなり遠い未来になりそうだ。
臓器提供を希望するしかない人たちの存在を知りながら、「提供しない」と断言するのも、それでよいのかという気になる。私が臓器提供を必要としないで済む身体に生まれたのはただの偶然でしかない。その幸運をせめて自分の死後に還元すべきではないのかと。
一方で、死後とはいえ自分の身体がバラバラにされるのが抵抗ないといえばウソになる。これはもう感情として。
いつまでもその葛藤のせいで、結局未記入状態のままである。いや実は、私のような人は多いんじゃないかとも思う。
さて、今日のバッジは、臓器提供ではなく、検体に関する一品である。
画像の金色のバッジの裏面に「検体登録章」とある。手と手を合わせたデザインではないかと思う。どこの組織が作ったものかは不明である。
検体登録とは何か。公益財団法人日本篤志献体協会の公式サイトには次の説明がある。
献体とは、医学・歯学の大学における解剖学の教育・研究に役立たせるため、自分の遺体を無条件・無報酬で提供することをいいます。
「自分の死後、遺体を医学・歯学の教育と研究のために役立てたい」とこころざした人が、生前から献体したい大学またはこれに関連した団体に名前を登録しておき、亡くなられた時、遺族あるいは関係者がその遺志にしたがって遺体を大学に提供することによって、はじめて献体が実行されることになります。
研究目的であるところが臓器提供と異なる点だ。当協会の事業実績によると、令和4年度に「全連加盟大学へ献体登録希望者を紹介した数 139件」とある。けっこうあるものなのだな、というのが私の印象だ。一般人は研究機関への検体などあまり考えもしないのではないか。
臓器提供も希望する場合は、検体はどうなるのか気になっていたが、それについては次のようだ。
正常解剖には眼球や腎臓などの臓器が揃ったご遺体がより望ましいのですが、アイバンクなどへの登録も同時に希望される場合は、同時登録を受ける所と受けない所がありますので、献体の会または大学にご相談下さい。
なるほど、検体も臓器提供もともに医学に貢献する行為とはいえ、ケースバイケースながら両立させるのは基本的には難しそうだ。
実際の検体された場合、遺体は具体的にどうなるのか。
1防腐処理等の解剖準備期間として3~6ヶ月くらいが必要です。
2実際の解剖学実習期間として通常3~7ヶ月ぐらいを必要とします。
3実習は大学ごとに決められた時間割によって行われるために、その年の実習に間に合わない場合には翌年の実習まで保管されることになります。
4その他、おあずかりしているご遺体の数の状況によって返還までの期間がかわります。
解剖学実習終了後、ご遺体は一体ごとに大学側で丁重に火葬し、ご遺骨をご遺族にお返しいたします。なお、いずれの大学でも、献体された方々のために、大学の公式行事として毎年慰霊祭が行われています。
けっこう時間がかかるのだなあと思った。
21世紀になっても、臓器移植にしても研究にしても、篤志により提供された実物の遺体が支えているのである。
「どっちがいい?検体と臓器提供と選ぶとしたら?」
ときかれたら、どうしようと想像する。
私なら、悩むところではあるが、より直接困った人を救えそうな臓器提供を選ぶかもしれない。そう思いながら、やっぱり私のカードの「臓器提供意思」欄は未記入のままだ。
あのー、もう少し、死を身近に感じるようになってから決めさせていただく、ということでよいでしょうか。すみません、もうちょっと時間をください。
だがこのバッジの所有者は違ったようだ。
このバッジはもしかしたら検体を決意しどこかの機関に登録した人がもらったものかもしれないのだ。私が臓器提供意思の記入をいつまでも躊躇っているのに比べ、このバッジの所有者は検体を決断した。
この人は死後、生前の意思どおり検体に付されたのだろうか。そもそもなにを思って検体登録するに至ったのだろう。
なんだか、おろそかに扱ってはいけないバッジのように思えてきた。