徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 ミサイル核実験成功(毛沢東)バッジ

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さて、今日のバッジも昨日に引き続き「原爆万歳」のバッジ。今度は中国だ。

1945年、世界初の核兵器アメリカが開発。これに遅れること4年、1949年にソ連が原爆実験に成功。共産陣営への対抗のため、アメリカの技術提供によりイギリスが1951年に原爆実験。1960年にはフランスが原爆実験を行う。
さて、この次に核保有国に参加したのが中国で、1964年10月16日、国家総力を挙げた開発の末、初の原爆実験に成功した。さらに、1966年10月26日、核ミサイル実験にも成功する。

1966年といえば、文化大革命が発動された年である。政治の第一線から退いていた毛沢東が、劉少奇ら指導部に対して「修正主義者」と批判を浴びせ、再度革命による中国の共産主義化を徹底的に推し進めようと、紅衛兵運動を始め大々的な大衆動員政治を展開した。かつては「共産主義の兄」と尊崇し、物心共に支援を受けていたソ連との関係が悪化、両国は互いに罵倒を繰り返した。中国の指導者はソ連との全面戦争は不可避であると想定し、60年代後半は中ソ間の関係は一触即発の危機をはらんでいた。

文化大革命期の中国人民解放軍といえば、あの真緑色の軍服に赤ベタの襟章、赤い星の帽章のついた解放帽(いわゆる人民帽というやつ)という印象的なスタイルが有名だ。中国では、1965年にソ連の兵制にならった階級制を廃し、中国紅軍の伝統に戻れとばかりに、将兵の階級まで廃したのである。
中国の戦略は「人民戦争論」と言われ、人民大衆を広く武装化し、人民の海に敵を溺れさせるというものであった。
時代錯誤的な兵制も、素朴すぎる人民戦争路線も、背景に核兵器の存在があったことは忘れてはならない。むしろ、核兵器があったからこそ取り得た路線であったと考えるべきであろう。

さて、前書きが長くなったが、バッジである。
スローガン「毛沢東思想の偉大な勝利」、毛沢東肖像、地球を一周するミサイル、そして原爆の象徴キノコ雲。まさに米ソに負けない核の所有は、毛沢東思想の勝利と喧伝されたのである。

余談ながら、「労働者の国」ソ連に続き、中国も核保有国になったことで、それを認めるかどうかで日本では革新系組織において反核運動に分裂をもたらすことになる。