徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

パキスタン 核実験成功記念バッジ

今日は8月9日、長崎原爆投下60周年の記念日である。これまで何回か日本の反核組織のバッジを紹介してきたが、今日はその正反対というべきバッジを紹介する。
1998年5月、世界中の批判と懸念をよそに、パキスタンはついに核実験を成功させ核保有国の一員となった。それもインドの核実験のわずか2週間後というタイミングで、インドへの対抗をあからさまに表明する形での実施であった。インドの核保有は1974年にさかのぼる。インドからのパキスタン独立後も、カシミール領有権を巡る紛争や、ヒンズー教イスラム教という文化的な反目もあって、両国は互いに敵意を剥き出しにしているが、それがこれからは核開発競争へと発展していくことを意味した。

パキスタンの核実験成功は、パキスタン国内では歓迎をもって迎えられた。余談だが、あるテレビ番組で見ていたシーンは印象的だった。核反対を訴える日本の若者が、パキスタン反核キャンペーンを実施したところ、パキスタン人から「日本はアメリカの核の傘に護られているではないか。おまえ達にそれを言う資格があるのか!自ら武装せずに、インドの核に、どう対抗しろと言うのか!」とまくし立てられていた。それに対して、日本の若者は反論するどころか、まともに言葉を返すことすらできなかったのだった。・・・

これはその時の記念バッジと思われる。上に書かれている文字は不明。
右側に大きく描かれた人物は建国の父、ムハンマド・アリ・ジンナー。
左側に小さく描かれているのは、恐らく核開発の英雄、アブドル・カディル・カーン博士の若い頃の肖像ではないかと思われる(似ている・・・とは思うが、違ったらごめんなさい)。カーン博士は、2004年、北朝鮮、イラン、リビア等に核開発に関する技術をブラックマーケットで売買していたとして拘束された。いわゆる「カーン・ネットワーク」により、第三世界への核の広まりが明らかとなっている。
中央には核爆発によるキノコ雲が描かれているが、パキスタンの核実験は地下で行われたはずなので、あくまでも象徴的な表現と解釈すべきであろう。
全体の緑色は、イスラム教の聖なる色で、パキスタン国旗も緑色。