2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)が開幕してから2か月あまり。開幕前の批判もとりあえず、今では連日来場者でにぎわっているそうである。
今から約120年前に開催されたのが第五回内国勧業博覧会。会期は明治36年3月1日~7月31日、開催場所は大阪市天王寺今宮、入場者数は4,350,693人であった。
内国勧業博覧会は、名の通り国内の産業振興が狙いであったが、この頃になると大量の来場者による経済的効果が大きく目的化しており、その点でも大成功となった。博覧会は、この後全国の都道府県で様々な形で開催され、開催地に経済的利益をもたらすことになった。東京での開催が予定されていた「第六回内国勧業博覧会」が日露戦争の影響で中止されながら、国に代わって東京都の主催で「東京勧業博覧会」が実現したのは、こうした影響が大きいだろう。
第五回内国勧業博覧会は、規模も期間もそれまでの内国勧業博覧会より大幅に拡充された。夜間会場が初めて行われ、イルミネーションなどが人気を呼び、多くの来場者を集めることとなったという。
そして、国による博覧会はこれが一旦終わりを迎え、次は1970年の大阪万博まで待つこととなる。
今日の一枚は、明治36年に大阪で開催された「第五回内国勧業博覧会 観覧紀念章」である。観覧記念章というからには、一般来場者の記念グッズとして販売されていたものなのだろうか。バッジは、安価な作りで、一本ピン式のバッジである。打刻も比較的浅く、いかにも明治期のバッジの雰囲気が漂う。
ところで私がちょっと悩んだのがこの図柄であった。
第五回内国勧業博覧会の「顔」と言えば、当時の絵葉書などでも描かれたように、メイン会場のドーム状の屋根を持つ正門なのである。このバッジの「鳥居に五重塔」は、なんだろう?
はじめ私は、この博覧会にこういうパビリオンが実際にあったのではないかと思い、当時の図版や絵葉書などをネットで漁ったが、まったくそれらしいものは見当たらない。非現実の、ただ日本的架空デザインを用いただけなのかなあとすら想像した。
が、開催地周辺の天王寺をインターネットで見ていたら、この図柄そのものの光景を発見した。
このバッジの図そのままの配置で、四天王寺の石鳥居を正面から見ると、鳥居に西大門、そして右側に五重塔が視界に入るのである。
てっきり、鳥居や五重塔をデザイン的した架空の風景と思っていたので、現実の光景そのものだったことに驚いた。(もっとも地元大阪の人にとっては周知の光景であろう。私は大阪に全く土地勘がないので)
ではなぜ博覧会のバッジに、博覧会そのものではなく会場近くの四天王寺が描かれたのだろうか。その点は不明ながら、バッジ製作者は、バッジ製作タイミング時に博覧会のメイン建築のデザインを知らなかったため(未完成のため?)、すぐ近くの有名な名所である四天王寺を採用したんじゃないか、と想像している(この想像は当たっている気がする)。