徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 東京大正博覧会の審査官・審査主事徽章(大正3年)

東京大正博覧会の審査官・審査主事徽章

2025年に開催される大阪万博が、危機的な状態にあるという。開会まであと1年半というのに、まだ肝心の工事がほとんど進んでいないのである。会場となる夢洲の環境(脆弱な土地条件、アクセスの悪さ)に加え、建設業界の人手不足、資材高騰など、問題山積で果たして無事予定通りに開会できるかが懸念されている。

どれも今になって初めて発生した事態でもなかろうに、と素人目には見えるのだが、さあどうなるか、日本の政治中枢をも巻き込んでこれから大きな騒動になりそうである。東京オリンピックでは、準備段階から開会直前まで、まさかと思うような問題が頻発してさながら壮大なコントを見ているような気分になったことを思い出す。大阪万博も同じような展開を見せていくのだろうか。とても気になる。

さて、そんな問題をはらんだ大阪万博に対する批判も高まりつつある。そもそもの話、今の時代「万博ってやる意味あるの?」という疑問がまた盛り上がっている。万博の歴史を見れば、帝国主義時代における列強各国による自慢大会のような色合いがあったのは間違いないだろう。現代人が万博の意義を信じられないとしても当然ではないか。

万国博覧会だけでなく、19~20世紀は博覧会が大流行した時代であった。日本でも首都だけでなく各地で様々な博覧会が開催された。

そして、そのたび様々な徽章が製造されてきたので、私のコレクションには、かつて開催された博覧会バッジが多く集まっている。


そんなうちのひとつを紹介しよう。

東京大正博覧会の審査官・審査主事徽章である。

東京大正博覧会は、大正3年3月から7月にかけ、東京府の主催により、上野公園、不忍池周辺を中心に開催された。

この東京大正博覧会よりも前に、明治以来開催された主な博覧会を列記する。
第1回勧業博覧会(明治10年、上野)、第2回勧業博覧会(明治14年、上野)、第3回勧業博覧会(明治23年、上野)、第4回勧業博覧会(明治28年、京都)、第5回勧業博覧会(明治36年、大阪)、東京勧業博覧会(明治40年、上野)

上野は、博覧会の会場としてはお決まりの場所だったのである。

この東京大正博覧会とはいかなる博覧会であったのか。

東京府として本博覧会を開催する趣旨は、殖産興業の進歩開発を促すにあるは勿論なるも、第一に大正御即位式を紀念し、併せて我帝国の改元に伴ふ万般の進歩発達を図りいささかなりとも此大正の御代に報ひ奉らんとするの赤心より企図せられたのである。(中略)故に吾々国民は主催府たると賛同府県たるとを問はず、官民を問はず、苟も我帝国の臣民たるものは、この目出度き大正博覧会の開催を賛同し、富国強民の目的を貫徹せしめることにつとめねばならぬ

(「東京大正博覧会遊覧案内」大正博の趣旨)

会場には数多くの陳列館(現代風に言えばパビリオン)が立ち並び、主な陳列館は、第1会場(上野公園)では、工業館3棟、鉱山館、林業館、教育学芸館、水産館、美術館、拓殖館、朝鮮館、東京市特設館、日本体育館、協賛館、迎賓館、園芸館、活動写真館など。第2会場(不忍池周辺)では、農業館、運輸館、染織館、外国館、動力館、機械館、台湾館などである。さらに第3会場が青山練兵場にもあった。

出品物はジャンルごとに14部180類に分かれて展示された。

第1部教育及び学芸、第2部美術及び美術工芸、第3部農業及び園芸、第4部林業、第5部水産、第6部飲食品、第7部採鉱及び冶金、第8部化学工業、第9部染織工業、第10部製作工業、第11部建築及び装飾、第12部機械船舶及び電気、第13部土木及び運輸、第14部経済及び衛生、約20万点の出品があったというからこれだけでも相当な規模だったことがうかがえる。

ところで、この博覧会の様子を調べようと「東京大正博覧会観覧案内」という観光案内用の冊子の目次を見ていたら、「奇抜なる美人島旅行館」「物凄い幽霊美人」だの、「南洋館では土人が踊りだす」だのという文字が目に飛び込んできた。なにこれ?

一応言っておくと、これらは博覧会の正規のパビリオンではなく、場内の遊興的施設なのだが、これがなかなか、なんというかすごい。

やはり気になるのが「美人島旅行館」で、上記冊子によると、次のように説明されている。

(前略)就中第一に挙げねばならぬのはこの美人島旅行館でせう。「数千尺の天空に美人飛ぶ、この種絶世の大奇観」と大きなビラを市内到る処の要所々々に掲げて博覧会のまだ始まらぬ中からしきりに人の気を唆つて居りました、挑発的の色彩を放つたその建築に、東叡山上美人島出現という大看板を懸けて好奇心を誘ふ事に於いてはこれが第一であります。

というから、市中ではかなり宣伝されていたらしい。

50余名の盛装した美人を使つて或は井底に遊泳する魚族中に花の姿を現はすかと思ふと、月の世界に旅行するものもあります、そして館の真中には美人島女王の宮殿が出来てゐて、ここには天下一品の美人を選んでそれをこの宮殿の女王とするのであります。

と、なんだかよくわからないがくだらなそうな雰囲気だけだけは伝わってくる

前に述べました宮殿に鎮座するときの女王の服装は、純日本風神代の女装でありますが、これが幻影一転して忽ち渺茫たる海上となると、洋装の海神と化して天に昇るという趣向であります。さらに女王宮殿の裏手に廻りますと美人島旅行中最も凄愴な趣向を凝らした幽霊美人というのがあります。荒涼たる原野、墓石累々として倒れたる上に窶れはてた白装の美人が現はれ、路行く人を見てニヤニヤ笑ひ、忽ちにして煙の如く消えるといふ物凄いものなど、実に奇々怪々な珍趣向のものが多いということであります。

というのだから、どうにも見てみたいような見たくないような気にさせられる。

さらに「南洋館」。

マレー連邦、英領植民地、スマトラ、ジャワ、セレベス、ニューギニア、フイリッピン諸島などの農林水産物、水産及び鉱業、地理統計表などを陳列し、

・・・とここまではよいのだが、

かの地の土人を呼んできて日常生活ぶりを見せて居ります。また余興としては、土人特有の歌舞音曲を演じせしめるということであります。

平然と土人呼ばわりするくらいは実はまだましで、「東京大正博覧会実記」では、

過日食人種(蘭領ボルネオ島ダイヤーク人種)の一隊此館に到着して余興の手踊りその他珍妙な舞踏等を見せている。

食人種などと紹介している(本当か)。

現在ならこれは大炎上どころではすまないであろう。コンプライアンス上の問題があまりにも多すぎるのである。

余談が過ぎた。

膨大な出品物の審査にあたったのが、審査部の職員であった。「東京大正博覧会職制」では、審査に関する職員を次のように定めている。

第六条
東京大正博覧会出品審査ノ為メ左ノ職員ヲ置ク
審査総長
審査部長
審査官
審査嘱託
審査主事
審査書記
審査補助
第七条(略)
第八条
審査総長ハ審査事務ヲ総理ス
審査部長ハ審査総長ノ命ヲ承ケ審査事務ヲ分掌ス
審査官審査嘱託ハ審査総長ノ命ヲ承ケ審査二従事ス
審査主事ハ審査総長二隷属シ審査事務ヲ調理ス
審査書記ハ上司ノ命ヲ承ケ審査二関スル庶務二従事ス
審査補助ハ上司ノ命ヲ承ケ審査ヲ補助ス

(またまた余談ながら、いま、この職制の記載を書き写していて、当時の行政文書にしばし感じいってしまった。「総理する」「分掌する」「従事する」「調理する」という緻密な使い分けが実に奥深い。一体、現在の行政文書でここまでの書き分けをするであろうか。)

審査官には、西洋画の黒田清輝藤島武二中村不折、建築家の伊藤忠太や彫刻家の高村光雲朝倉文夫、陶芸家の宮川香山などの名が見える。当代一流の専門家が審査にあたった様子がうかがえる。さっきの「幽霊美人が云々」とのギャップが激しい。

優秀な出品に対する褒賞には5種あり、上位から、名誉大賞牌、金牌、銀牌、銅牌、褒状とされ、各賞牌には賞状が付属した。褒賞授与式は大正3年7月10日に挙行された。

さて、やっとバッジの話である(博覧会の報告書や案内冊子など読んでいたら非常に興味深く、ここまで来るのにえらく時間がかかってしまった)。

画像のバッジは、裏面に「東京大正博覧会」と文字があり、箱に「審査官審査主事徽章」とあるので、その正体が知れる。実際の審査に従事した審査官と、審査にかかる事務処理にあたった審査主事が身につけていた徽章である。

この徽章も非常に美しく、透明感のある赤、空色、黄の七宝が鮮やかで、鏡のように平滑に研磨されている。

画像を見ていて気が付いたのだが、このバッジ、「大正」の文字が図案化されていることに気が付くだろうか?

ふた裏に朱印が押してあって、安藤七宝店の作である。

ちょっと面白いのが、この博覧会では安藤七宝店の創始者にして当時代表の安藤重兵衛委(重寿)も出品し、銅牌と褒状を獲得している。ついでなので、七宝部門の審査講評も見てみよう。

七宝ハ今回ノ出品其数量ニオイテ甚タ多カラスト雖モ其作風ノ多方面ニ捗リ意匠ノ多趣ナルヲ見ル近来工芸界ノ一部ニハ単ニ時好ヲ趁ヒ極メテ浅薄ナル新思想ニ迎合セントスル結果自ラ軽浮ナル印象を与フル作風ヲ生シ崇視スヘキ妙技ノ製品稀少ナルノ秋ニ際シ荘重ノ感ヲ起コサシムル作品ノ多数ヲ得タルハ殊ニ快感ヲ覚ユル所ナリ然レトモ製技ニ顔料ニ釉薬ニ将タ意匠図案ニ尚改良発達ノ余地アルハ固ヨリ言フヲ待タス(「東京大正博覧会出品審査概況」第2部美術及工芸 第二十四類)

と出品者を激励している。なお、七宝家として有名な濤川惣助もこの博覧会に「鮎之図花瓶(銀地、七宝)」を出品し、銀牌を獲得している。

私としては、来る大阪万博には関心がわかないが、いろいろ調べてみて、この聖も俗もごった煮の、百年前の博覧会には大いに関心が湧いた。調べていてとてもおもしろかった。

他にも博覧会関連バッジはいろいろ手元にあるので、また取り上げてみたくなった。