徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国製 スターリンバッジ

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今日のニュースで目を引いたのはこれ。共同通信による。
旧ソ連の独裁者で1953年に死亡したスターリンの死因について、ロシアの歴史研究者がこのほど、機密の医療日誌などから毒殺説が確認されたとの記事を週刊紙「論拠と事実」に公表した。記事は当時秘密警察を掌握し、スターリンの粛清を恐れていた共産党最高幹部だった側近ベリヤらによる毒殺と結論付けている。」

うーん、どうなんだろうなあ、これ。
ベリヤが粛正を恐れて先手を打った、というストーリーは確かに分かりやすいけど、なんだか分かりやすすぎて逆に疑いたくもなるところだ。

さて、今日のバッジはそんなわけでスターリンなんだが、中国製のスターリンバッジ、50年代のモノである。「記念」とあるが、なんの記念だかは不明。味わい深い顔立ちのスターリンである。

実は、不思議な感じがするくらい、中国ではスターリンに対する悪感情が少ない。特にヨーロッパでは、それも特に左派の人間は、スターリンを悪魔のごとく忌み嫌っている。

間違ってはいけない。右翼側でなく、特に左翼側に嫌われているのだ。
それは粛正により、スターリンがロシア人に留まらず、多くの共産主義者を反ソ連、スパイとして粛正(=殺害)してきたからだ。それも、狙い打ちにされたのは有能な、指導者的な存在となるべき人間も多かった。
ヨーロッパだけではない。日本の共産主義者すらも粛正の犠牲となった。
特にモンゴルなんて、ヒドイものだ。国家元首であったチョイバルサンですら、モスクワに呼び出され、そのまま帰らぬ人となった。病死というのが公式発表だが、それを信じる人は少ない。チョイバルサン自身は、「モンゴルのミニ・スターリン」と言われていたことを思うと、なんとも皮肉だ。

中国人の粛正の犠牲者もいるが、国民党との悲惨な内戦の末勝利し、成立した中華人民共和国を真っ先に承認し、軍事、経済、産業の各面で援助の手をさしのべたのは、スターリンソ連であった。厳しい建国期を曲がりなりにも乗り切れたのは、ソ連の援助を抜きにしては不可能だったかもしれない。

そんなわけで、近代以降、帝国主義的野心の標的にされ続けた中国にとって、そんなソ連は、本心からありがたい存在であったろう。もちろん、ソ連が親切心だけで援助したわけではないし、中国共産党の首脳も不信感を密かに胸に秘めつつ、感謝と友好を全面に表したのだが。

年末に中国に行ったとき、未だに新華書店(国営書店)の店先では、マルクスレーニン毛沢東と並んで、スターリンのポスターが貼ってあったのを見つけることができた。
今となっては、堂々とスターリンポスターが売られているのは中国ぐらいではないだろうか(ただし、今では少なくなった)。
もっとも、今どきそんなものを買う中国人はいないのだが。