徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国景徳鎮製 スターリンバッジ

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今日は実に暖かかった。
天気もよくて、あー春が来るってのはこういう快感を味わえることなのだと思ったくらいだ。休日はうちでゴロゴロしていることの多いナマケモノな私だが、こんな日は外に出なきゃ。

というわけで、出かけてきたのが東京目黒区の庭園美術館。ネットで、なんかおもしろいイベントやってないかなーと探してたら、「マイセン展」が目に止まったからだ。
マイセンは、16世紀に起源を持つドイツの名窯。なんといっても当時のヨーロッパでは製作できなかった磁器の製作に初めて成功したことで有名だ。洋食器や西洋骨董好きの人には、その作品はおなじみのアイテムでもある。
会場では、客の平均年齢の高さに驚いた(笑)。それに、女性が多かった。やっぱりそういうアイテムなのね。
展示された作品(百数十点)は、すべて宇都宮に住んでいたある女性(故人)のコレクションだという。個人のコレクションでこれだけの質・量はすさまじく、その事実にまず感嘆した。

ドイツにマイセンあれば、中国に景徳鎮あり!(というか、そもそも本場は中国だ)というわけで、今日は景徳鎮製スターリンバッジを紹介する。
裏面には、「亜州婦○代表会議記念 中国江西省人民贈 新新瓷社製 1949.10」(○の字は不明)とある。江西省の新新瓷社というのは景徳鎮の陶器製作所であるらしい。いかにも古いツクリで、年代を感じさせる一品だ。

陶板に肖像を焼き付けて、金属の枠で覆ったツクリ。実は陶板をバッジに作るというのはあんまり日本ではなじみがないが、中国ではけっこうメジャーなものである。

景徳鎮といえば、中国歴代王朝が官窯をひらき、数々の名品を生み出してきた中国焼き物のメッカである。人民共和国が成立した直後、このような共産主義の指導者のバッジがここで作られていたというのは興味深いことである。「新新瓷社」などという名前も、いかにも新中国らしい名称だ。
このようなバッジを初めて見る人には意外に思えるかもしれないが、中華民国時代には蒋介石の陶板製バッジも製作されていて、それが驚くほど同じツクリなのだ。また、毛沢東のそれももちろん製作されている。

つまり、景徳鎮では、諸王朝の宮廷品を作り、民国時代は国民党の指導者バッジを作り、人民共和国になっては同じ技術を使って毛沢東スターリンらのバッジを作っていたのである。ある意味、歴代王朝の官窯と同じなのかもしれない。(毛沢東個人用の食器もここで製作されたことが知られている。)
時代は下って、60年代、文化大革命の嵐に突入しても、景徳鎮はやはり文革版の陶製毛沢東バッジを大量に作成し続けるのである。たくましいというか、なんというか。

もちろん、それ関係も大量に所蔵してますんで、またのお楽しみに。