昨夜、久しぶりに友人たちと会った。思えば、長い付き合いになるなあ・・・
場所は池袋、中国の東北料理の店。安くて美味かった。客も店員も中国人ばかりだった。
久しぶりに飲む「二鍋頭酒」。飲むとカッとのどの奥まで熱くなる味が、なんだか懐かしい。
この冬にチベットに行って来た友人がバッジを買ってきてくれて、そのうちのひとつがこれ。
「もう1人の」パンチェン・ラマ11世、ギェンツェン・ノルブ少年がパンチェン・ラマに即位して10年周年記念のバッジである。
もう10年になるのか・・・と思うと感慨深い。
チベット仏教において、ダライ・ラマに次ぐ高僧がパンチェン・ラマであり、ともに活仏として信仰を集めている。
ダライ・ラマ14世は、1959年に中国によるチベット支配に反抗してインドに亡命し、亡命政権を樹立(もちろんインドは、1959年に中国と紛争を戦った仲だ)。チベットにおける自治権の拡大を主張している。
さて、パンチェン・ラマ10世は亡命せずチベットに留まり、1989年死去。パンチェン・ラマは転生すると信じられており、ダライ・ラマ亡命政府がパンチェン・ラマの生まれ変わりと認定したのがゲンドゥン・チューキ・ニマ少年6歳だった。
もちろん中国政府がこれをそのまま受け入れるはずはなく、独自に認定したのがこのギェンツェン・ノルブ少年だ。
要するに、パンチェン・ラマ11世は2人できてしまったわけだ。
だが、認定直後からニマ少年は姿を消し、ギェンツェン・ノルブ少年が実質的に唯一のパンチェン・ラマとして即位したのである。ニマ少年の行方は今も不明という。
バッジは、「2005年 班禅大師(パンチェン大師)座床(即位)10周年記念」とある。
当時6歳の少年も、もう今では16歳のはずだ。パンチェン・ラマは、ダライ・ラマ転生の認定を行う存在でもある。1935年生まれのダライ・ラマ14世はいま70歳を過ぎた。
彼が亡くなったとき、またこの騒動が再燃することは必至である。
普通の素朴な少年僧にしか見えない彼だが、背負っている政治的対立はあまりにも重い。