今日は久しぶりにバッジの紹介から始める。
このバッジは、おそらくイタリア製ではなく、イギリス製かと思われるバッジだ。
「THE ST JOHN AMBULANCE BRIGADE」、直訳すれば「聖ヨハネ救急団」くらいの意か。
以前、私もお気に入りのいかにもストイックな雰囲気の 騎士団バッジを紹介したので、合わせてごらんいただきたい。
聖ヨハネ騎士団の概略は次の通り。
聖地エルサレムへ巡礼するキリスト教徒を保護するために組織され、後には対イスラムへの武装組織となった。
エルサレムが十字軍の手からイスラム側に取り戻された後(1187年)、聖ヨハネ騎士団は流浪の末、ロードス島へ本拠を移し、対イスラム戦を戦った。が、そのロードス島もオスマントルコ軍との壮絶な籠城戦の末に敗退(1522年)。また流浪の身となった騎士団は、神聖ローマ皇帝の斡旋でマルタ島へ。ここでもオスマントルコの大軍に包囲されるが、今度は籠城戦を勝ち抜く(1565年)。そんな騎士団も、時代が移り、ナポレオンからの攻撃の前にろくに戦いもせずに降伏する(1798年)。
・・・こうしてロードス島もマルタ島も失った聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団ともいう)は、今ではキリストの戦士としてではなく、各地で団本来の姿である医療活動に従事している。
聖地エルサレムへ巡礼するキリスト教徒を保護するために組織され、後には対イスラムへの武装組織となった。
エルサレムが十字軍の手からイスラム側に取り戻された後(1187年)、聖ヨハネ騎士団は流浪の末、ロードス島へ本拠を移し、対イスラム戦を戦った。が、そのロードス島もオスマントルコ軍との壮絶な籠城戦の末に敗退(1522年)。また流浪の身となった騎士団は、神聖ローマ皇帝の斡旋でマルタ島へ。ここでもオスマントルコの大軍に包囲されるが、今度は籠城戦を勝ち抜く(1565年)。そんな騎士団も、時代が移り、ナポレオンからの攻撃の前にろくに戦いもせずに降伏する(1798年)。
・・・こうしてロードス島もマルタ島も失った聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団ともいう)は、今ではキリストの戦士としてではなく、各地で団本来の姿である医療活動に従事している。
ちなみに、こちらが第78代の団長さんだ。
騎士団は、「領土なき国家」とも言われ、国として承認している国も実は93にものぼる。
いま、彼らがどこにいるかというと、実はローマにいる。1834年以来のことだ。
それも、観光名所スペイン広場にほど近いコンドッティ通りVia Condottiというブランドショップが建ち並ぶ、繁華街のただ中にあるのであった。
いま、彼らがどこにいるかというと、実はローマにいる。1834年以来のことだ。
それも、観光名所スペイン広場にほど近いコンドッティ通りVia Condottiというブランドショップが建ち並ぶ、繁華街のただ中にあるのであった。
ぜひこの本部を見に行こうとは、旅行前から考えていたのだが、スペイン階段の見物を終えて歩く私の目に目に、赤字に白い十字の旗が翻るのが見えた。
うん?どこかで見たことのある旗・・・あれは聖ヨハネ十字!そうか、こんなところにいたのか!と。
ちょっと感動した。思わず門の前で記念撮影をしてしまったほどだ。
うん?どこかで見たことのある旗・・・あれは聖ヨハネ十字!そうか、こんなところにいたのか!と。
ちょっと感動した。思わず門の前で記念撮影をしてしまったほどだ。
ちなみに、騎士団長の館は、門の鍵穴をのぞくと、真ん真ん中にサン・ピエトロ大聖堂がきれいに見えるので、ちょっとした観光名所になっている。ヒマな観光客が、けっこうたくさん鍵穴をのぞきに来る。
もちろん私ものぞいてみました。
もちろん私ものぞいてみました。