徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

イタリア 聖ヨハネ騎士団・ローマの空に翻る十字旗 ~イタリア旅行編その7~

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今日は久しぶりにバッジの紹介から始める。
このバッジは、おそらくイタリア製ではなく、イギリス製かと思われるバッジだ。
「THE ST JOHN AMBULANCE BRIGADE」、直訳すれば「聖ヨハネ救急団」くらいの意か。
以前、私もお気に入りのいかにもストイックな雰囲気の 騎士団バッジを紹介したので、合わせてごらんいただきたい。

古くは聖ヨハネ騎士団に起源を持つ古い組織である。「8つの角のついた変形十字」は聖ヨハネのシンボルである。

聖ヨハネ騎士団の概略は次の通り。
聖地エルサレムへ巡礼するキリスト教徒を保護するために組織され、後には対イスラムへの武装組織となった。
エルサレムが十字軍の手からイスラム側に取り戻された後(1187年)、聖ヨハネ騎士団は流浪の末、ロードス島へ本拠を移し、対イスラム戦を戦った。が、そのロードス島オスマントルコ軍との壮絶な籠城戦の末に敗退(1522年)。また流浪の身となった騎士団は、神聖ローマ皇帝の斡旋でマルタ島へ。ここでもオスマントルコの大軍に包囲されるが、今度は籠城戦を勝ち抜く(1565年)。そんな騎士団も、時代が移り、ナポレオンからの攻撃の前にろくに戦いもせずに降伏する(1798年)。
・・・こうしてロードス島マルタ島も失った聖ヨハネ騎士団マルタ騎士団ともいう)は、今ではキリストの戦士としてではなく、各地で団本来の姿である医療活動に従事している。


騎士団は、「領土なき国家」とも言われ、国として承認している国も実は93にものぼる。
いま、彼らがどこにいるかというと、実はローマにいる1834年以来のことだ。
それも、観光名所スペイン広場にほど近いコンドッティ通りVia Condottiというブランドショップが建ち並ぶ、繁華街のただ中にあるのであった。

ぜひこの本部を見に行こうとは、旅行前から考えていたのだが、スペイン階段の見物を終えて歩く私の目に目に、赤字に白い十字の旗が翻るのが見えた
うん?どこかで見たことのある旗・・・あれは聖ヨハネ十字!そうか、こんなところにいたのか!と。
ちょっと感動した。思わず門の前で記念撮影をしてしまったほどだ

この繁華街の本部の他にも、テヴェレ川に近いアヴェンティーノの丘に、騎士団長の館がある。
テヴェレ川対岸からもローマの青空に聖ヨハネ十字の旗が高々と翻るのがよく見え、私はなんだか感慨深かった。
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ちなみに、騎士団長の館は、門の鍵穴をのぞくと、真ん真ん中にサン・ピエトロ大聖堂がきれいに見えるので、ちょっとした観光名所になっている。ヒマな観光客が、けっこうたくさん鍵穴をのぞきに来る
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もちろん私ものぞいてみました。