徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 東京オリンピック聖火リレー参加記念バッジ

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北京五輪に向かう聖火リレーは、ヨーロッパでも大混乱だったがアメリカでも大変だったようだ。

厳重な警備体制はともかく、観衆に一切知らせない突然のコース変更、極秘移動に、ゴール地点まで秘密裏に変更してしまうなど、まさに異例ずくめの展開。警官たちまで、当初のコースへ投入するなど陽動作戦まで行ったという。
ニュースを見ていた私もさすがにここまでやるかと、思わず笑ってしまった。
悲惨と笑い。まさにそれを目の当たりにした思いだった。

まあ、サンフランシスコでは、おかげでリレー妨害行為はロンドンやパリに比べて少なかったようだが、いったい何のための聖火リレーだかだんだんよく分からなくなってきた。
次はブエノスアイレスだが、聖火が中国入りするまで、あと1か月近くもあるのだが・・・どんなドラマが展開することか(むろん、本番はもっと大変なことになりそうだ)。

というわけで、今日の一枚は、1964年東京オリンピック聖火リレーの記念バッジである。
裏面には、「オリンピック東京大会聖火リレー参加記念章」とあって、聖火ランナーに配られた記念品のようである。
表面はデカデカと日の丸、「TOKYO 1964」と書かれている。

この時の聖火リレーがどのようなモノであったかというと、JOCのサイトによると、
ギリシャイスタンブール(トルコ)→ ベイルートレバノン)→ テヘラン(イラン)→ ラホール(パキスタン)→ ニューデリー(インド)→ ラングーン(ビルマ)→ バンコク(タイ)→ クアラルンプール(マレーシア)→ マニラ(フィリピン)→ ホンコン(ホンコン)→ 台北(台湾)→ 沖縄(当時はアメリカ統治下)
を経て、日本に上陸、4コースに別れて全都道府県を巡った末、東京に集まり、集火式が行われた。
国内のリレー参加者は、10万713名に上ったという。
そんなにたくさんランナーがいたとは思わなかった。このバッジの持ち主が聖火を実際手に持って走った人であっても不思議でなく思えてきた。

私もオリンピックはなんだかんだ言ってテレビ見るのは好きな方で、特に週末の夜中、夜更かししながらだらだらとオリンピック競技を見ているのは何となく楽しい(中国は日本と時差が1時間しかないのでそういう観戦はできそうもないが)。
今回も、できれば騒動よりも、オリンピック本来の競技を純粋に楽しみたいものだ。