徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 清里「ポール・ラッシュ記念センター」で展示のバッジを見る ~その2~

ゴールデン・ウイークも気がつけば残り1日。一体何をしている間にこんな時間が過ぎてしまったもんだか、まあ休日は時間の過ぎるのが早いものである。

先日、清里へドライブに行ったことを書いたが、続きがあるので今日はそれを書き残しておこう。
清里にて医療や教育施設を持つ農村センターを建設したアメリカ人、ポール・ラッシュ記念センターの展示である。

記念センターは、実はラッシュが住んでいた家に隣接して建てられていて、もちろん家の中も見学することができる。1979年に亡くなる直前まで実際に生活していたという。

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(ラッシュ邸執務室の様子)
なかなか快適そうな家で、大八車の車輪がシャンデリアに使われていたり、外国人らしい発想もユニーク。

さて、邸内でも様々な展示品を見ることができるが、まずパッと目に飛び込んできたのが、額に納められた勲三等瑞宝章だ。
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(傍にあった勲記によれば、昭和31年11月に授与されたもの。)
戦後、叙勲制度が復活したのが昭和28年。よく分からないけど、昭和31年当時で瑞三ってのはなかなかハイクラスといっていいんじゃないか。土地での名士ぶりがうかがえる。

さらに、同じ飾り棚内に、自治体功労章を見つけた。
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赤紫のザブトン付き、真ん中に「功」の字と、それを囲む山形のシンボルマーク。
このマークは一体どこの?・・・と思ってあれこれ検索していたら判明した。これ、山梨県の県章である(本当の県章は、中央に「山」の字が入る)。
ということで、ラッシュ氏は山梨県からも自治体功労章をもらっていたのである。

もうひとつ、目を惹いたのが、こちらはアメリカの勲章。
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Legion of MeritのLegionnaire級(4級)。アメリカの勲章の中でももっともポピュラーなものである。
勲記らしきものは見あたらなかったのだが、彼はGHQの将校もしていたので、その時にもらったものだろうか。

清里というのは、どうもバブルの頃のイメージが強くて、私もまだ清里と聞くと、すぐ「ペンション」という単語を連想してしまうのだが、1930年代のこの土地は、僻地もよいところだ。そこにわざわざこういう施設を建設し、地域へ貢献した外国人が住民からどのように見られていただろうか、と思わずにはいられない。
宗教活動にも従事していた彼だが、熱狂的宗教者では全然なく、その点ではむしろ普通の人という印象を強くした。
日・米間においてはとりわけ激動の時代を生きた彼だったが、その非常ににこやかで人なつこそうな風貌は、今もなにかホッとするものを感じる。