徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 長野オリンピックバッジ(企業バッジ)

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やれ大気汚染問題だ、やれチベット問題だ、聖火リレートラブルだ、地震だ、テロだ・・・と、スポーツとはまったく関係のない部分で春から盛り上がってきた?北京五輪の開催まで、おお、もうあと11日か。テレビも少しずつオリンピックモードになりつつある。
来週末にはもう開幕なのだなあ。いやでもやっぱり心配は尽きないなあ。

ところでこの前、NHKの衛星放送で、市川崑監督の「東京オリンピックを初めて全編見た。「記録映画か芸術作品か」の論争を巻き起こした有名な作品だったが、実におもしろかった。確かに、市川崑はオリンピックを素材にした映画を創作したのだと思う。その意味で、記録映画を見ているつもりの私も所々戸惑うシーンも少なからずあった。実は映画用に創作された部分も多いらしいが、それも含めて、おもしろかったと思う。
特に最後のハイライト、男子マラソンの金メダリスト、アベベの淡々としたかっこよさ。円谷幸吉の必死の形相も印象的である。彼のその後を知る我々には、その姿は痛ましくも映る。
そして、なによりも、昔のオリンピックというのは、今よりもずっと素朴だったのだなあ・・・ということである。今も昔も、世界的大イベントには違いないが、商業化され巨額の金が動く現代のオリンピックでは、もはや失われた良さでもある。

さて、オリンピックといえば、マスコットがすっかり定着しているが、東京オリンピックの時代にはまだオリンピックマスコットは誕生していない。
1972年、あの大事件が勃発したミュンヘンオリンピックがその始まりだそうだ(ダックスフントの「ヴァルディ」)。
以来、手を替え品を替え、様々な動物などが登場することとなる。最近では、グッズ販売、つまり大会の収益にも大きく影響するといわれているが、すっかり複数化の流れも定着したようで、今度の北京では最多の5種類である。

さて、その北京オリンピックで記録を塗りかえられるまで、最多数を誇ったのが長野冬季オリンピックの4種類である。
いやあ、このマスコット、ふくろうの「スノーレッツ」はいまだに記憶にあるけど、初めて見たときは「なんじゃこりゃ?」と思ったものだ。なんてヘンテコな、と。
画像のバッジは、オリンピック協賛企業IBMのものである。オリンピック期間中は、にわかバッジコレクターになる人も多いが、そんな友人からもらったものである(確か彼は期間中長野に行っていたと記憶する)。

まあなんにせよ、今となっては北京オリンピックが無事終わることを祈るばかりである。