徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 文革期「防衛珍宝島」毛沢東バッジ

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日本では竹島の教科書記述が、韓国との間で大きな摩擦を生じている。領土問題ってのは、どうもデリケートなもんである。21世紀になっても、全然進歩しないのだな。
でもまあ、仮に竹島問題がどんなにこじれようと、日本と韓国の間で武力衝突までエスカレートすることはあり得ず、そういう了解がお互いある以上(たぶん)、寸土を争って血を血で洗う戦いを展開している国々があることを思えば、まだマシ、というべきかもしれぬ。

さて、日韓関係が領土問題で緊迫している最中、「中ロ国境問題が最終的に解決」というニュースが目をひいた。アムール川ウスリー川の合流地点の島の帰属問題が両国間で合意されたということだ。
うーむ、ついに解決したのか・・・と私としてはちょっと感慨深い。これはかなり画期的なことではあるまいか。

中ソ対立が深刻化していた1969年3月。中ロ国境ウスリー川の中州、ダマンスキー島珍宝島)で軍事紛争が勃発した。珍宝島紛争、当時は、珍宝島自衛反撃戦ともいった。
国境ラインの主張が双方で異なるために、お互いに侵略者呼ばわりしていたわけだが、中国では折しも文化大革命の真っ最中である。反ソ連の気運は一気に高まったのであった。

さて、このバッジはその時の記念でつくられたもの。
表面には毛沢東の軍装肖像と、下には銃を片手に、毛語録を掲げた人民解放軍兵士の姿が描かれている。兵士が戦っているのは、針葉樹が生い茂り、荒波に揉まれる「珍宝島」であって、ちゃんとそう書いてある。「祖国の神聖な領土を守れ」とスローガンも見て取れる。
裏面には、「英雄的なる珍宝島地区の軍民に贈る」とある。

ちなみに、この戦いで一躍ヒーローになったのが国境巡邏隊及び第7分隊で指揮を執った孫玉国(当時28歳)である。彼は戦闘英雄の称号を受け、この年4月に開幕した中国共産党第9回全国大会にも出席して、毛沢東と握手も交わした。
その後は異例の出世を重ね、33歳にして瀋陽軍区副司令員に就任、1975年にはついに全人代の常務委員会委員となる。
・・・が、文革の終了によって、その人生は一気に暗転
四人組との親密な関係が問題となって職務停止、軍から解任されることになる。まあこれは余談だが。

どうも最近、毛バッジの紹介が多いな。