徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 虎門要塞司令部徽章(日本軍戦利品)

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先日同好の士が集まる機会があって、いろいろ楽しい情報交換をしてきたのだが、「戦利品」のことがちょっと話題になった。どこの国でもいつの時代でも、戦争の度に戦利品が大量に発生する。あれはなんなのだろう。

戦争に参加した兵士が戦利品を欲しがるというのは、古今東西を問わず共通した心理であるらしい。考えてみればよく分かる。兵役や戦争が終われば、戦場の兵士は市井の生活に戻るのだ。戦利品を欲しがる兵士は、やがて戦利品を手に、故郷で子や孫に戦場での武勲を語る自分の姿を想像しているのかも知れない。
それは自爆攻撃精神とは全く異なった所から生まれる心理で、まあ私などはその方がごく自然で理解しやすい世界である。

そして、バッジというのは戦利品としてしばしば利用されるアイテムなのである。
さて、このバッジもまさにその戦利品のひとつ。偶然国内で、中国の徽章を発見したものだ(ただし所有者は不明)。
年号と場所が入っているので、来歴が推定しやすいのがありがたい。「虎門要塞司令部」の徽章である。中華民国27年用とあり、1938年のものである。裏面の刻印から、広東省のメーカーで作られたバッジであることが分かる。
虎門要塞が日本軍に攻略されたのが1938年10月だから、時期もバッチリ符合する。

1937年7月から始まった日中戦争で、翌1938年には日本軍は香港・広東方面を攻略するため兵を進めた。
1938年10月には、日本軍第5師団が、広東省の主要軍事拠点である虎門要塞を占拠した。ここは中国南部の玄関として、アヘン戦争の戦場となった場所でもある。
同師団は広東作戦を展開した後、中国各地を転戦することになる。このバッジを中国から持ち帰った日本の兵士は、少なくとも生きて帰国できたのだろう。第5師団とすると、広島などの中国地方の出身者であったはずである。

小さくて携帯に便利で、しかもどの敵のものかハッキリ分かるバッジは、戦利品として格好のアイテムであったようだ。日本でもたまに日中戦争期のバッジを見かけるが、その多くは戦場の兵士が持ち帰ってきたものだと思う(ただしカイライ側のモノは別だが)。

もちろん中国側でも日本軍モノの戦利品は多数残っている。今も北京の軍事博物館でそれらの一部を見ることができる。ただし、敗戦に伴って大量の日本軍物資が中国側に接収されているので、厳密な意味での(戦場での)戦利品であるかどうかの判断は極めて難しい。

まあ個人的には、戦利品としてのバッジは、血に染まった軍装や武器の類に比べれば、まだまだおとなしいよなあ、という気がする。