徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 勤労章

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昭和17年9月、対米英戦争に突入した日本は、「銃後の生産戦を戦い抜く勤労報告の精神を昂揚するため」、「勤労顕功章令」を制定公布した。
平たくいえば、国による労働者表彰制度である。ただし、あくまで勲章ではない。年金などの特典もなかった。

これには2ランクがあって、中央表彰では勤労顕功章、地方表彰では勤労章が授与され表彰された。画像は勤労章のほうである。勤労顕功章は、原則として勤労章を授与された者の中からに選ばれ、中央表彰の様子では、勤労章と勤労顕功章の両方を国民服につけた受章者の姿が、当時のニュース映像で見られる。

(NHKアーカイブによる)「産業戦士に輝く勤労顕功章」国民ニュース第141号より(昭和18年2月16日公開)
余談だが、アップで映った映像では、その他に儀礼章や体力章らしきバッジが国民服につけられている。
(既出の関連項目)
体力章

画像を見てほしい。
8つの曲玉と4つの丸玉が周囲を囲み、中央は歯車となにやら袋を手にした神像が描かれている。どの神様なのか知りたいところだが、どの資料を見ても「神像」としか書かれておらず、なんなのか今も不明だ。産業に関係のある神さまなのだろうが、どちら様でしょうか? 歯車はもちろん産業のシンボルで、これと神との組み合わせがなんとも不思議な感じを与える。

どういう人が勤労章をもらえたのかというと、「工場、鉱山その他厚生大臣ノ指定スル事業ヲ行ウ事業所」で「其ノ職務ニ精励シ勤労報国ノ実ヲ挙ゲタルモノ」。
勤労顕功章のほうは、さらに「・・・実ヲ挙ゲ他ノ模範タルモノ」となる。
どうとでも取れる基準だが、実際には後述するように授与数目安が決められており、この数字を地方や都道府県ごとに割り振っていったというのが現実であろう。

地方表彰者→中央表彰者になるのが原則だが、例外もある。「事故ノ危難ヲ顧ミズソノ職責ヲ盡シソノ行為他ノ模範タルモノ」は、地方表彰の有無に係わらず受章対象になりえたようだ。もう少し具体的にいえば、「職務上の危難に挺身し、そのために重大な傷痍を受け、または殉職した場合」、と説明されている。殉職と同等クラスの重大な傷痍っていうのは、足の骨を折ったくらいじゃダメで、両足膝下切断レベルなんだろうかとかいろいろ考えてしまう。

なお、工場鉱山その他の事業所が対象となっているが、昭和18年に改正され、さらに幅広い分野の勤労者を表彰する制度に変わった。

参考に、勤労顕功章の画像も載せておく。
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外周部の光芒が追加されているほか、中央部のデザインはほぼ同じだが、中央神像が金色になったり、丸玉に真珠がはめ込まれたりしてさらに大きくハデになっている。

勤労顕功章の紹介が図だけなのは、単に私がこれを持っていないからである。有り体に言えば、高価すぎるので買えないのである。

当時の勤労者になったつもりで考えてみたい。勤労章が絶対に欲しい!と思ったとして、ではこれをもらうのはどのくらい大変なことだったのか。
昭和17年制定時の目安の参考資料では、目安として次のような数字が挙げられている。

      該当勤労者数  地方表彰  中央表彰
鉱業      572,600人  3,000人  60人
金属工業    521,744人  1,000人  20人
機械器具工業 1,311,918人  3,500人  70人
化学工業    405,041人   500人  10人
その他    3,381,771人   490人  10人
計      6,193,074人  8,490人  170人

というわけで、地方表彰=勤労章は10万人あたり137人、中央表彰=勤労顕功章にいたっては、わずか2人という狭き門
「右ハ一応ノ標準ナルモ実施ノ場合ハ関係省協議ノ上決定スルモノトス」と但し書きがあるものの、この程度のランク設定がなされていたわけである。
なお、上の表を見てもらえれば気がつくと思うが、各業種ごとに表彰者割合には大きな差がつけられている。中央表彰で見ると、鉱業では10万人あたり60人なのに対し、化学工業は2人、その他では0.3人しかない。これは、作業の危険度や業種の重要度などが考慮されたためだろう。

大したバッジじゃないようにも見えるが、もらうとなるとそれなりに大変なモノである。バッジ自体のツクリも悪くなく、デザインも日本らしい雰囲気を醸し出して、なかなかユニークだと思っている。個人的にはちょっと趣味ではないのだけど。