徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

岩波新書「勲章 ~知られざる素顔~」(栗原俊雄著)

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今年4月に刊行された新刊。岩波新書で、タイトルはズバリ「勲章」、サブタイトルは「知られざる素顔」である。
日本の叙勲制度の歴史、その実態を描いた一冊である。国家とはなにか。それを、近代日本が編み出してきた勲章の制度からそれに迫る。

改めて考えさせられたのは、現行の叙勲制度は、法によって定められたものではないことである。1946年5月、敗戦に伴って、新憲法が樹立し、その下で栄典制度が確立するまで、生存者叙勲は行わないことが閣議決定された(文化勲章、褒賞などは除く)。
1946年11月に新憲法が制定された後、栄典法案を成立させるべく、国会で議論されるようになったが、これが難航を極める。それまでの叙勲制度が勅令を根拠とし、運用も天皇中心主義であったのだから、国民主権がうたわれた新憲法下でその有り様が同じわけはないのである。

1948年には衆議院に栄典法案が提案され、過去の日本を象徴する栄典制度の全廃、新栄典法を制定することを目指された。
おもしろいのが、ここで提案された新たな勲章だ。勲章の種類をごく少なくし、1種5級の普通勲章と文化勲章のみとした。
普通勲章とはどんなものかというと、平和大光章、平和重光章、平和金光章、平和双光章、平和銀光章の5階級である。章身には平和のシンボルであるハトがあしらわれた意匠であったという。
一度旧制度をリセットして新憲法にマッチした新たな制度を目指した法案だったが、結局審議未了で終わる。

その後も、栄典法案制定を目指す動きは続くが、日の目を見ることなく、結局は現在に至るまで栄典法案は成立していない。
結局政府は、議論噴出で法案で栄典制度の確立という策を諦め、閣議決定で停止した生存者受勲を閣議決定で解除する、という奇策にでる。戦後も文化勲章が旧憲法における勅令で運用されている既成事実も活用された。これならば国会に諮る必要がない。
が、一方では、国民が全くタッチできない形でこそこそと復活させてしまったわけで、大いに問題があるだろう。

つまり、栄典制度(叙勲制度)は、その根拠として明治勅令をそのまま引きずったままなのだ。国民主権の新憲法とは全く矛盾したあり方が、いびつに生き残った。
しかしまあ、新憲法においても天皇制が残っているわけで、それ以前天皇中心の国家運営を行うためのアイテムであった勲章が、天皇制と切り離して出直すのはムリという気がする。
主権在民をうたった新憲法は、同時に象徴として天皇を認め、栄典の授与は天皇の国事行為と位置づけられてある。この矛盾が、法案成立という解決を見ることなく、国会における議論もなく、ただ延々と続いていく。

2002年、政府は栄典制度改革を実行、階級差を薄め、運用面でも男女格差、官民格差を少なくする対策が取られた。
まあ私にいわせれば、それは矛盾を単に薄めただけの話であって、解決したものではない。

戦後の混乱のさなか考案された、幻の「平和勲章」が、どんなデザインであったかぜひ見てみたいものだ。
憲法の理念を体現した勲章は、天皇の権威と近代の歴史の結晶であった既存の勲章と比べると、きっと無味乾燥なモノか、あるいはなんとも表現しがたい珍妙なシロモノであったろうと想像している。何せハトだからなあ。

でも、それも新生なった民主日本のいじらしい姿にも似て、微笑ましくも健気な勲章ではないか。