徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 農地改革記念メダル

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今が過渡期なのかもしれない。あと10年で、日本の農業は大きく変容するだろう。

なんといっても農家の高齢化、これはもうどうもならないところまで進行している。若者の就農や企業などの新規参入は確かに相次いでいるが、影響は部分的に留まる。
そして問題は農地の流動化が進まないことで、規模拡大を目指す意欲ある大規模経営体にとって、大きな阻害要因になっている。農地は生産の基盤であるとともに、農家の不動産になってしまっているからだ。相続ともなれば、農業生産などにまったく縁のなくなった子弟へと農地が受け継がれ、分割され、放置され、しまいには草ぼうぼうの耕作放棄地となっていくのである。
個人財産である以上、農地がどんな状況になろうとも、それを強制的に解決する手段はない。ゴミ屋敷問題に似ている・・・といったら言い過ぎか。

となると、戦後最大の改革、農地改革とは一体何だったのか・・・という気がしてならない。
農地改革とは、そもそもはGHQが、日本の軍国主義を支える封建制体制の打破を目指して、地主制を排除し小作農を自作濃化するために行った。今となっては想像するのも難しいが、農地改革が実行されていなければ、日本の姿はまったく違ったモノになっていたのではないかと思う。

しかし、農地改革はGHQの押しつけであったばかりではない。日本農民組合も結成され、農地の改革は全農民の70%以上を占める小作農自身の要求となっていたのである。
昭和21年の第2次農地改革では、市町村ごとに設けられた農地委員会が実行機関となり、その委員は選挙で選ばれた。農地委員会は、不在地主の所有地や一定規模以上の小作地などの買い上げ、売り渡しに当たった。これによって日本の農地のほとんどが自作地となったのである。
一連の改革は、地主側からすれば「収奪」、小作農側からすれば「解放」。

画像のメダルは、「1948年 農地改革 記念」、裏面には「農地委員会 福岡県協議会」とある。
昭和23年とすると、第1期農地委員会(昭和21~23年)の任期終了に合わせて作られたモノと思われる。
農地委員の半数は小作農出身者で占められていたという。このメダルを手にした人物は、果たして「収奪」された側だったのか、「解放」された側だったのか、ふと想像する。
表面には「たわわに実った稲穂を刈り取る鎌」が描かれており、は戦前の農民運動バッジを想起させる伝統的?デザインである。

さて、現憲法にも似て、「上からの改革」となった日本の農地改革。多くの小作農が土地を得た、というポジティブな面もある一方、現在の農業問題の深刻な原因を作ったともいえる。まああの時代、完璧な対策などなかったと思うけど。
日本の農業改革には、零細農家の一掃が必要だ・・・などというのは極論にせよ、いわば「逆農地改革」の必要を訴える人もいるのは事実だ。とはいえ、私が思うにそれは単にアイディア、思いつきに過ぎず、これまでの経緯を考えてもとても実行できるようなものではない。

ダメとわかっていても、曲がり角は、実際曲がってみるまでは対策は取れないものなのかもしれない。