徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

モザンビーク 独立記念バッジ(1975年)

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どこか珍しい国のものを・・・と探して、今日はこれでいこう。
モザンビークの独立記念バッジである。

60~70年代、雨後の筍のように次々と独立を果たしていったアフリカ諸国。が、どの国でも独立後の歩みは困難を極めた。
マダガスカル海峡に面する東アフリカの国、モザンビークもその例に漏れなかった。
ポルトガル植民地だったモザンビークは、マルクス主義を掲げるモザンビーク解放戦線(FRELIMO)が指導する反ポルトガル闘争に勝利。1975年、ついに「モザンビーク民共和国」として独立を果たす。宗主国ポルトガルでは、40年以上にわたるサラザール独裁体制が崩壊した直後であった。

だが冷戦対立の波は容赦なく襲いかかった。70年代後半から始まる反共勢力との内戦は10年以上に及び、国土は疲弊を極めた。80年代末、ソ連の崩壊とともに、モザンビークでも一党独裁体制を改め、1990年から複数政党制が導入された。この時期、世界中にある社会主義国は、同じような流れを辿ったのだった。

バッジを見てみよう。
ツクリは安価なカンバッジで、黄色はナショナルカラーのようだ。大地を象徴する色なのであろう。
中央に描かれているのは、太陽、本、鍬、カラシニコフで、上には社会主義の赤星を抱き、全体を歯車が囲っている。鍬は生産、カラシニコフは戦い、太陽は自然、本は進歩を象徴しているのだろうか。
下には、「1975年6月25日 モザンビーク独立」とポルトガル語で書かれている。

交叉した鍬とカラシニコフは、国旗や国章にもメインシンボルとして描かれている。アフリカ諸国のシンボルではカラシニコフがしばしば採用されていて、この安価で強力な武器がいかに多用されてきたかを物語っている。

社会主義イデオロギー一党独裁体制も過去のものになったモザンビークだが、自由選挙制度後も国会の与党はモザンビーク解放戦線(FRELIMO)が座を占めている。