徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 日中国交回復 3000万署名記念バッジ

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1972年に日中国交正常化がなって、今年は40年目の節目の年、よりによってこんな事態になろうとは誰が予測したであろう。

石原慎太郎都知事に煽られた形で尖閣諸島国有化を実行した日本政府に、中国政府は猛反発。折しも中国の最高権力の委譲期にあって、反日運動がこれほど激化するとは日本政府も(もちろん石原都知事も)想像はしなかったであろう。中国側に日本批判の口実を与えたという意味で、結果論とはいえ失策であったとするしかない。

自国民からの弱腰外交批判を避けたいのは日中政府とも同じこと、今のところまだ突っ張りあいが継続しているのだが、果たして落としどころはどこなのか。向こう三軒両隣、努めて仲良くやりたいのは自宅の近所づきあいも外交も同じじゃないかと思うが、こと敷地の境界問題、国の領土問題となれば、譲り合いの美徳など期待できないのは共通なのであった。
というわけで、騒動のアオリを食って、日本でも中国でも、様々な国交正常化記念イベントが吹っ飛んだ。

実際に日本と中国が国交正常化、事実上の国交回復を果たしたのは1972年だが、日本では実現に至るまで様々な運動が展開された。
中華人民共和国成立の1年後、日中友好協会が発足。国交正常化に向けた運動を展開した。
1964年には、「日中国交正常化3000万署名」運動が始まり、国民的機運の醸成を図った。だが、1966年に端を発する中国文化大革命日本共産党中国共産党の対立など、日中関係は波乱の時代を迎えた。

画像はその記念バッジ。
結局のところ、3000万を目指したこの署名運動がどのくらいまで集めたのかよくわからない。裏面には「3000万署名記念」とあるのだが、「3000万署名を達成した記念」という意味ではないと思う。正確には、「署名運動の記念」と解すべきではないか。実際、3000万といえば、およそ日本国民の3人に1人、それも乳児も何も含めての話だから、実際には2人に1人くらいの割合でなければならないスゴイ数だ。
あまりにも高すぎるハードルだが、当時の国交回復を目指す運動の熱さだけは感じる。
バッジの表面は、一面に花がちりばめられている。桜とバラのように見えるが、中国の国花と考えれば、一応ウメ・・・なのかなこれ。