徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

フランス? JE SUIS CHARLIE(私はシャルリー)バッジ

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新年早々、壮絶な事件で幕を上げた2015年。
1月7日、フランスのパリでイスラム過激派による出版社襲撃事件が発生し、12人が殺害された。逃走した犯人たちは後日警官隊と銃撃戦の末、全員が射殺された。

事件後、「JE SUIS CHARLIE(私はシャルリー)」というスローガンが世界に広まった。表現の自由を守るため、襲撃を受けた出版社「シャルリー・エブド」の支援を表明するスローガンである。

事件後、襲撃事件の原因となったムハンマドの風刺画などを見たが、正直言って、「かなりしょうもない内容だなあ」としか私には思えなかった。そのしょうもなさと、事件の悲惨さのギャップが、この事件から受けたインパクトであった。

とはいえ、表現の自由を守ることとは、その内容には関係がない。表現者が殺害されるべき表現というものはない。表現の自由を守るということは実に重いことなのである。日本でも、例え天皇制批判の記事を掲載しようと、韓国こき下ろし本を出版しようと、少なくとも法的に罰せられることはない。内容が正しいからではない。表現の自由を権利として憲法で保障しているからである。
したがって、フランスの当該雑誌の表現内容が例えどれほどくだらなくても、腹立たしい内容であっても、あのような事件は絶対に認められないのである。

しかし、世界を見回せば、表現の自由を認めている国ばかりではない。多くのイスラム教国家でシャルリー・エブドを販売しようとすれば罰せられるのではないか。

だからこそ、このような悲惨な事件を受けて、「私はシャルリー」、表現の自由を暴力から守ろうという気運が高まっているのだろう。
ところが、ネットで調べてみて知ったが、「私はシャルリー」グッズというのは今、世界中でたくさん製作されているようだ。Tシャツ、バッグ、ステッカー、マグカップ、そしてもちろんバッジである。

画像のバッジは、一番オーソドックスなヤツで、ムハンマドのイラスト入り、フランス国旗、ペンを握った手など様々なバリエーションのものが売られている。
これも表現の自由なのか・・・いや、悲惨な事件すら商売に買える人間のたくましさか。それとも、あさましさ、というべきか。