事件後、襲撃事件の原因となったムハンマドの風刺画などを見たが、正直言って、「かなりしょうもない内容だなあ」としか私には思えなかった。そのしょうもなさと、事件の悲惨さのギャップが、この事件から受けたインパクトであった。
とはいえ、表現の自由を守ることとは、その内容には関係がない。表現者が殺害されるべき表現というものはない。表現の自由を守るということは実に重いことなのである。日本でも、例え天皇制批判の記事を掲載しようと、韓国こき下ろし本を出版しようと、少なくとも法的に罰せられることはない。内容が正しいからではない。表現の自由を権利として憲法で保障しているからである。
したがって、フランスの当該雑誌の表現内容が例えどれほどくだらなくても、腹立たしい内容であっても、あのような事件は絶対に認められないのである。
したがって、フランスの当該雑誌の表現内容が例えどれほどくだらなくても、腹立たしい内容であっても、あのような事件は絶対に認められないのである。
だからこそ、このような悲惨な事件を受けて、「私はシャルリー」、表現の自由を暴力から守ろうという気運が高まっているのだろう。
ところが、ネットで調べてみて知ったが、「私はシャルリー」グッズというのは今、世界中でたくさん製作されているようだ。Tシャツ、バッグ、ステッカー、マグカップ、そしてもちろんバッジである。
ところが、ネットで調べてみて知ったが、「私はシャルリー」グッズというのは今、世界中でたくさん製作されているようだ。Tシャツ、バッグ、ステッカー、マグカップ、そしてもちろんバッジである。
画像のバッジは、一番オーソドックスなヤツで、ムハンマドのイラスト入り、フランス国旗、ペンを握った手など様々なバリエーションのものが売られている。
これも表現の自由なのか・・・いや、悲惨な事件すら商売に買える人間のたくましさか。それとも、あさましさ、というべきか。
これも表現の自由なのか・・・いや、悲惨な事件すら商売に買える人間のたくましさか。それとも、あさましさ、というべきか。