徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

ドイツ 第19回ドイツエスペラント大会バッジ(1930年)

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久しぶりにエスペラントバッジを紹介する。
とはいっても、これはエスペラント世界大会のバッジではなく、ドイツ国内の大会バッジである。

表面に書いてあるとおり、1930年にドレスデンで開催された第19回大会のものである。
中央にはエスペラントの国際主義の象徴として地球儀と、それを取りまくリボンにはエスペラントの五角星が4つ描かれている。

幅38mmと比較的大きく、鉄さび色をした8角形のバッジ・・・と思っていたら、なんとこれは陶製バッジなのであった。
裏面を見れば一目瞭然。8角形の陶板に金属板をはめ込み、バッジとしているのである。しかも、裏面の下の方には、かの有名な双剣マークが・・・。
そう、現在も高級陶磁器メーカーとして有名な、マイセンのマークである。
この双剣マークは、時代により変遷があるということは知っていたので、念のためネットで調べてみた。このバッジの双剣マークには、交叉した剣の上部中央に点がある。

するとこのマークは、次のものであることがわかった。
1924-1933 マックス・アドルフ・ファイファーの経営による時代、剣は優雅に湾曲し、柄頭は描かれなくなり、代わって剣先の中間に小さな点が描かれるようになりました。この窯印は1924年から33年まで用いられました。」(箱根マイセンアンティーク美術館サイト)

マイセンのマークは、通常の陶磁器では筆で手書きされるのだが、このバッジでは型押しでつけられている。それでもやはり、きちんと1930年という時代に一致する。

裏面に取り付けられた金属板には、中央部に7ケタのナンバーが打たれており、これはシリアルナンバーなのだろう。単なる国内大会用に作られたにしては凝ったバッジで、ケチで貧乏くさい21世紀に生きるわれわれ現代人からすると考えられないほどのコストの掛けようである。これも時代である。
もし今日、九州で日本エスペラント学会が国内大会を開催するとして、果たして薩摩焼や有田焼製の記念バッジを作製するかどうか、想像してみてほしい。

さらに裏面には何か建物の姿が浮き彫りになっているのだが、残念ながら一部しか見えないので詳細は不明である。ドレスデンの象徴、聖母教会のようにも見える。

この大会が開かれた15年後、ドレスデン市街は1945年の連合軍の無差別空襲により壊滅、聖母教会も多くの文化財とともにがれきの山と化した。しかも戦後ドイツは東西に分割、ドレスデン東ドイツに組み込まれることとなる。
まったくエスペランティストが目指した国際主義とはほど遠い時代となってしまった。
空襲から45年経った2005年、東西統一を果たしたドイツの下でドレスデン聖母教会はかつての美しい姿を取り戻した。戦争や東西冷戦が過去の遺物となったことを示すかのように。

しかし。
ようやく平和が訪れた頃には、今度はエスペラントを顧みる人がほとんどいなくなっていたのである。皮肉というにはあまりにも寂し過ぎはしないか。

今となっては、私のようなマニアが、バッジを眺めながら彼らのかつて見た理想に思いを馳せるばかりである。
滅びたものは美しい、などと言ってみても、何の慰めにもならないと思うけれど。