徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 オリンピックミュージアムで見る「幻のオリンピック」バッジ

yahooブログから移転して、はてなブログでの初めての投稿。

まだ使い勝手がよくわからないなあ・・・

 

たまたま別の用で千駄ヶ谷の近くに立ち寄ったので、ネットニュースで見かけた「オリンピックミュージアム」に行ってみた。9月14日に開館したばかりの施設である。

千駄ヶ谷・・・私にとってはあまりなじみのある場所でなく、さて目指す場所はどこにあるのかと駅からキョロキョロしながら歩いていくと・・・すぐに今まさに建設中のオリンピックメイン会場、新国立競技場が見えてきた。会場の一つである東京体育館も目の前で、この辺はオリンピック期間中はまさに大会の中心地になるのだ。

新国立競技場に沿ってしばらく行くと、目的地はあった。出来たてのオリンピックミュージアム。目印は大きな五輪マークだ。

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入館料は、高校生以下無料、大人500円で、割と良心的な料金設定と言えるのではないか。

メインは2階で、歴代近代オリンピックの歴史などが紹介されていて、私が見たかったコーナーは奥にあった。

日本におけるオリンピックの歴史である。特に、1940年に東京での開催が予定されていた第12回大会、いわゆる「幻の東京オリンピック」の展示品だった。

 

このブログでも何度か紹介してきたが、1940年、すなわち皇紀2600年の記念行事の一環として、東京市はオリンピック招致を決定する。大戦前の危うい国際政治状況の中、日本は奇跡的ともいえる招致活動を成功させた。

しかし、その後、平和なスポーツの祭典を日本で行う環境はすでになくなっていく。1937年には日中全面戦争が勃発、国内外から東京オリンピック反対論が力を増していく。それでもオリンピック推進派は大会の開催規模を縮小してでも開催しようと画策するも、1938年に正式に開催返上を余儀なくされたのである。

さて、オリンピックミュージアムでは、その当時の展示品を見学することができる。f:id:badge_culture:20190919205714j:plain

幻のオリンピックの公式ポスター(和田三造)」

なんでか知らんがモノクロのポスター。選手と並ぶ仁王像?もなんだか謎。バックには富士山も見える。

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(1/500 建造模型)幻の競技場

 

こうして競技場模型を見ると、思ったよりかなり立派な施設である。

軍のオリンピック反対論には、資材の無駄という批判も強かった。

 

さて、ここはバッジブログなので、お待たせしました、幻のオリンピックに関するバッジについて。

まずこの大会の公式ロゴはこちら。

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そして、バッジ。

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公認マークバッジ。富士山と五輪マークがデザインされている。

実をいうと、これと同じバッジを、何年も前に売っているのを見たことがある。欲しかったのだが、思ったよりかなり高かったので買うのを断念したことを鮮明に覚えている(あの時はあまり金がなかった)。いやー買っておけばよかったなあと、今になって後悔の念がよみがえった。

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特別記念品贈呈引換券と記念胸章

「講義録一ケ月以上申し込みの方に対し銀台五色豪華美麗オリンピック記念胸章(パンチ)を贈呈します」。

「講義録」って何だろう?それと、バッジじゃなくて「パンチ」とは?

 

ところで、ちょうど、今NHKの大河ドラマ「いだてん」では、1936年のベルリン大会において、東京オリンピックが決まり、大いに盛り上がっているところだ。

だが、21世紀に生きる我々は、その後の歴史を知っている。1940年大会の招致成功に沸いた主人公たちが失意に沈み、暗い時代に突入していくと思うと切ない。

余談ながら、この大河ドラマ、視聴率が最低記録を更新したとか何とか言っているが人気はいま一つのようだが、実は毎回欠かさず見ている。大河ドラマとしては多少異色ではあるかもしれないが、決して駄作ではない。もっと評価されるべき作品と思うのだが。

 

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さて、オリンピックミュージアム2階のまどからは、新国立競技場がよく見える。あと数か月で完成予定、工事もいよいよ終盤である。

近くに寄って見ると、いかにも立派な施設である。ああ、でも個人的にはザハ・ハディドが当初に設計した競技場が見てみたかったなあ。金がかかり過ぎと批判され、撤回されたが、つくづく残念だ。

それにしてもどうだろう。1940年の東京オリンピック目指して邁進するも、やがて矢尽き刀折れ、開催を断念せざるを得なかった先人たちに見せてあげたいと思う。

この立派な大会施設と、そこに行きかう平和な人たちの様子を。