ネットニュース(読売新聞)で「ひめゆり隊の校章、64年歳月経て自決の浜辺で見つかる」という見出しが目に入った。
記事曰く、
「太平洋戦争末期の沖縄戦で主に傷病兵の看護にあたった「ひめゆり学徒隊」の女学生の校章が、隊員が集団自決した沖縄県糸満市の荒崎海岸で発見された。(中略)
荒崎海岸は1945年6月21日、学徒隊を構成していた県立第一高等女学校(一高女)の隊員7人、教頭1人ら10人が米軍に追いつめられて手榴(しゅりゅう)弾で集団自決した場所。(中略)
発見したのは、沖縄戦犠牲者の遺骨収集に取り組む市民団体「ガマフヤー」(那覇市)の具志堅隆松代表(54)。昨年12月31日、荒崎海岸の別の場所に遺骨収集に向かう途中、岩場の陰に落ちていたという。」
とある。
「太平洋戦争末期の沖縄戦で主に傷病兵の看護にあたった「ひめゆり学徒隊」の女学生の校章が、隊員が集団自決した沖縄県糸満市の荒崎海岸で発見された。(中略)
荒崎海岸は1945年6月21日、学徒隊を構成していた県立第一高等女学校(一高女)の隊員7人、教頭1人ら10人が米軍に追いつめられて手榴(しゅりゅう)弾で集団自決した場所。(中略)
発見したのは、沖縄戦犠牲者の遺骨収集に取り組む市民団体「ガマフヤー」(那覇市)の具志堅隆松代表(54)。昨年12月31日、荒崎海岸の別の場所に遺骨収集に向かう途中、岩場の陰に落ちていたという。」
とある。
画像がこの度発見された校章だが、なるほど、ひめゆり隊の「ゆり」の名称は、ここに由来するのだなあ。
白いユリが一輪、わずかに花を開かせている図で、ある意味とても日本の校章らしいデザインといえよう。64年間海岸で風雨にさらされていると、バッジもこのようになるのかと思わせるほど傷みは大きい。かろうじて残る白い七宝が、白百合を彩っている。
白いユリが一輪、わずかに花を開かせている図で、ある意味とても日本の校章らしいデザインといえよう。64年間海岸で風雨にさらされていると、バッジもこのようになるのかと思わせるほど傷みは大きい。かろうじて残る白い七宝が、白百合を彩っている。
ところで、見つかった校章については、
「校章はひし形で縦2・2センチ、横1・6センチ。中央に白いユリの花、右上に「高女」の2文字があしらわれている。」
と記事は書いているが、よく見ると校章に書いてあるのは、「高女」の2文字ではなくて、「一高女」の3文字なのでは?・・・と思うのだが、どうだろう。
「校章はひし形で縦2・2センチ、横1・6センチ。中央に白いユリの花、右上に「高女」の2文字があしらわれている。」
と記事は書いているが、よく見ると校章に書いてあるのは、「高女」の2文字ではなくて、「一高女」の3文字なのでは?・・・と思うのだが、どうだろう。
あまりに悲惨な体験を語るバッジと、その持ち主に、合掌。