通勤途中の民家に立派な梅の木があって、ブロック塀越しにみごとな花が身を乗り出している。おお春だなあ。でもやっぱり早い。今年はやはり暖冬なのだなあ。
梅の花にはさほどの思い入れはないのだが、中国では梅は国民的に人気のある花である。
毛沢東の詩に「詠梅」という有名な漢詩があって、
「風雨送春歸,飛雪迎春到。・・・」
(風雨春の帰るを送り、飛雪春の到るをむかう。・・・)
という一節で始まる。
冬の寒さに耐え、じっと春の到来を待ち、その時が来たら人知れず花を開く、という内容の詩である。
毛沢東の詩に「詠梅」という有名な漢詩があって、
「風雨送春歸,飛雪迎春到。・・・」
(風雨春の帰るを送り、飛雪春の到るをむかう。・・・)
という一節で始まる。
冬の寒さに耐え、じっと春の到来を待ち、その時が来たら人知れず花を開く、という内容の詩である。
当然作者は毛沢東のことであるから、その意味するところはいろいろ深読みができるわけだ。
この詩が作られた1961年末といえば、毛沢東は大躍進政策の失敗などから劉少奇・鄧小平らに党の第一線を譲っており、彼ら実務派による経済の立て直しが行われていたときである。
これから数年後の1966年、毛沢東の号令により文化大革命が火を噴いたことを思えば、逆境を乗り越えていつかは返り咲いてやるぜ、という毛沢東の思いが込められているのでは・・・と考えたくなる。それがたぶんこの詩の含意だろうと思う。
この詩が作られた1961年末といえば、毛沢東は大躍進政策の失敗などから劉少奇・鄧小平らに党の第一線を譲っており、彼ら実務派による経済の立て直しが行われていたときである。
これから数年後の1966年、毛沢東の号令により文化大革命が火を噴いたことを思えば、逆境を乗り越えていつかは返り咲いてやるぜ、という毛沢東の思いが込められているのでは・・・と考えたくなる。それがたぶんこの詩の含意だろうと思う。
まあキナ臭い話はともかく、毛沢東が梅を愛好していたこと自体は事実であり、陶磁器の産地景徳鎮でも、毛沢東専用食器が作られたときは、そのモチーフには梅が用いられた。
(こちらを参照:「景徳鎮千年展 皇帝の器から毛沢東の食器まで」)
(こちらを参照:「景徳鎮千年展 皇帝の器から毛沢東の食器まで」)