プロレスラー・アントニオ猪木が日本維新の会から選挙に出ると聞いたときは、やっぱり維新ももうダメなんだなあと思った。一時は飛ぶ鳥を落とす勢いを見せた維新の会も、オウンゴールとしかいいようのないミスや内部不調和を連発し、党代表が首相に登りつめるどころかもはや余命幾ばくもない雰囲気。一発屋芸人もブームに乗っているときは、いつしか消え去るとは誰も思わないものだ。
さて、アントニオ猪木といえば、北朝鮮とは縁が深いことで有名だ。1995年4月、「平和のための平壌国際体育・文化祝典」を北朝鮮の平壌で開催し、2日間にわたりプロレス興行を挙行した。北朝鮮史上初めて行われたプロレスであった。アントニオ猪木の師匠である力道山が北朝鮮出身であったという縁による。とにかく猪木の肝いりで行われた興行であった。
このメダルは、その時作られたモノで、どういう性格のグッズかはよくわからない。単なる記念品なのか、何らかの賞なのか不明。
おなじみの力道山の肖像とハングルで「力道山 1951-1963」とある。この年号がなんなのか、実はよくわからない。1951年は相撲力士であった力道山がプロレスに転向したときであり、1963年は暴力団組員と喧嘩沙汰の末刺されて死んだ年である。つまり、この12年間というのは、プロレスラーであった時代を指しているものか。故人に添える年号だと、生まれてから死んだ年までを書くのが一般的なような気もするけど。
おなじみの力道山の肖像とハングルで「力道山 1951-1963」とある。この年号がなんなのか、実はよくわからない。1951年は相撲力士であった力道山がプロレスに転向したときであり、1963年は暴力団組員と喧嘩沙汰の末刺されて死んだ年である。つまり、この12年間というのは、プロレスラーであった時代を指しているものか。故人に添える年号だと、生まれてから死んだ年までを書くのが一般的なような気もするけど。
大きさはでかくて、82×69cmもある。もともとはこのメダルをぶら下げるリボンや金具などもついていたはずで、さらにデカかったわけだ。