久しぶりにエスペラント世界大会のバッジを紹介したい。世界の橋渡し言語を目指して生み出された人工言語エスペラント。その理想に多くの人が共鳴してきた。私のバッジコレクションの中でもエスペラント関連バッジはユニークな存在である。
今日紹介するバッジは、1939年にスイスのベルンで開催された第31回世界大会のものである。
バッジは、熊がエスペラントのシンボルたる緑星に片手をかけているデザイン。
なんで熊?と思うところだが、スイスのベルンのシンボルは、実は熊。「ベルン」の語源は熊(bear)に由来するのだという。ベルン市の市章にも、熊が描かれている。
日本人の感覚だと、熊とスイスというのはあまりイメージが結びつかないのであるが。
バッジの下部には、「31a UNIVERSALA KONGRESO DE ESPERANTO -BERN-SVISLANDO 29a JULIO-5a AUGSTO 1939(第31回エスペラント世界大会 ベルン・スイス 1939年7月29日-8月5日)」とある。
エスペラントの第1回世界大会は1905年、フランスのブローニュ=シュル=メールで開催され、現在に至るまで毎年世界のどこかの都市で開催されている。
だが、これまで2度の世界大戦では開催が中断された歴史がある。第一次世界大戦では1914年と1916~1919年、第二次世界大戦では1940~1946年、開催は見送られた。
この1939年のベルン大会後は、1947年の開催まで、戦争によりエスペラントの歴史上最長の中断期間を迎えることになる。
1939年9月にはナチスドイツがポーランドへの侵攻を開始、第二次世界大戦が勃発した。もう少しベルン大会の開催(7/29-8/5)が遅ければ、第10回大会と同様、「幻の大会」となっていたかもしれない。
1914年夏に予定されていた第10回パリ大会では、直前に勃発した第一次世界大戦の混乱により急遽中止が決定。以前、第10回大会バッジを紹介したが、どうやらバッジだけは先に製作されていたため、「幻の大会のバッジ」となってしまった。
幸い、第31回大会は開催することができたが、世界大会は以後1947年まで長期にわたり中断された。そして、戦後の初の第32回大会も、ベルンで開催された。
どういう事情があったかは分からない。