徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

キューバ バティスタ大統領キャンペーンバッジ

イメージ 1

さて、キューバのバッジも、ホセ・マルティ→チェ・ゲバラフィデル・カストロ・・・
と続いてきた。で、今日は誰かというと、カストロゲバラ達に打倒された、フルヘンシオ・バティスタ大統領のキャンペーンバッジである。

実は、長い間、このバッジに描かれているトリの正体が分からなかったが、ひょんなことがきっかけでついに長年の疑問が氷解した。
このトリの図を、よーく見てほしい。その右足が、左足に比べ、異様にふくらんで見えるのが分かるだろうか? このトリ、いやツルは、怪我した右足を包帯で固定されているのである。
話は1952年のことである。軍の実力者から、大統領(1940~44)を経て、この年バティスタは再び大統領選に打って出る。選挙キャンペーンで各地を回っているとき、彼は高速道路で怪我したツルを発見する。人権意識のほうはあんまり重視していたとは思えないバティスタだが、意外に動物愛護精神には厚かったのだろうか。それとも単なる宣伝か。ともかくバティスタはこのツルを助け、手当を施し、さらにキャンペーンに使うことを思いついた。そのスローガンは「Esta Grulla No Morita=このツルは死なない」。
このツル、キューバではどこにでも見られる身近な存在らしく、傷ついたツルをキューバ国家に見立て、その復活を訴えたのだ。バティスタ・バッジにツルがよく見られるのはこのためである。
もっとも、選挙戦では敗北が確実視されたため、軍事クーデターを起こして非合法的手段で大統領になってしまうのだから、ツルもビックリの展開だ。
しかも、アメリカの力を拠り所にしたバティスタ政権により、キューバアメリカの傀儡国家と化し、貧富の格差は増大、政権の不正と腐敗は更に悪化し、農村の疲弊は深刻化した。これに立ち上がったのがゲバラたちの反バティスタ軍である。ひたすら反乱軍の弾圧に励むも、さすがにアメリカからも見放され、1959年1月1日、ついにバティスタドミニカ共和国に亡命。キューバに革命政権が誕生し、社会主義の道をたどる。一方、バティスタは、1973年フロリダで死去。

とにかく革命と反革命に生きた人生だった、良くも悪くも。・・・と言いたいところだが、彼を評価し、弁護する人はほとんどいないのが実態だ。