徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 大日本農会員票

大日本農会員票

大日本農会の沿革をまず紹介しよう。

 大日本農会は,明治14年(1881)4月5日,「農業の経験や知識の交換を通じて農事の改良発展を図る」ことを目的に,わが国初の全国的な農業団体として創設されました。

 当時は,明治新政府が,江戸幕府鎖国政策による国の制度や産業の立ち遅れを回復させるため,諸外国の法制度や産業技術などの導入を早急に進めていました。その一環として,農業技術についても,欧米の大農場方式などの考え方が大々的に取り入れられ,普及に移されようとしていました。
 このような動きに対し,日本の伝統的な農業技術を重視すべきではないかと考える,当時の中核的な農家が各地で集会を開いて活発に意見を表明するようになり,それが全国的な集会に発展していきました。
 このような政府からの動きと中核的な農家の動きとを融合し,新しい日本の農業の方向を民と官が一体となって議論していくための組織として,英国の王室農会をモデルに上記中核的な農家による全国的な集会をベースに,本会が設立されたわけです。
 発足当初の構成は,北白川宮能久親王殿下を会頭に,名誉会員33名,特別会員277名,通常会員311名からなり,幹事長は後に農商務省次官をつとめた品川彌二郎となっております。
 総裁には創立以来皇族をいただいており,現在は,秋篠宮皇嗣殿下を総裁に推戴しています。(公益社団法人大日本農会の公式サイトより)

現在も、農事功績者表彰、調査研究活動、講演会・セミナー事業、勧農奨学、会誌「農業」等の発行などの事業を展開している公益社団法人である。一般農家にとっては全国の篤農家などを表彰する事業がよく知られている。

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さて、画像のバッジだが、8稜の神鏡を模した形状、中心に日章をイメージした赤い透明七宝、その周囲に篆書体で「大日本農会員票」という本体で、緑のリボンから下がる。

まあ一見して古いタイプでおそらく明治期のモノだろうが、「票」という表現が一層時代を感じさせる。「大日本農会員票」ではなく「大日本農会会員章」が一般的表記だろう。

ここで私は考えた。「票」とはどのような意味を持つ漢字なのか。

「票」の字源を調べてみると、

屍(しかばね)を焚(や)いて、その火の飛ぶことをいう。票は焚屍(ふんし)の象。古く火葬も行われ、その火勢のさかんなことを票という。(字通)

予想もしていなかったものすごいことが書いてある。「票」の字は、その上側はもともと人の頭部、下側は火を現した会意文字なのだという。

そして「票」の訓義は次のとおりである。
1. 火がとぶ、とぶ。
2. ゆれうごく、かるくあがる。
3. はやい、ただよう。
4. ふだ、かみきれ、切符の類。

現代日本人には、もはや4番の意味しかほとんど理解できないであろう。

ここから自らの所属を明らかにするモノを表す字として「票」が使われているのであろう。漢字の奥深さを感じる。

日本 銀色名鳩章(大日本軍用鳩協会 昭和16年)

銀色名鳩章(大日本軍用鳩協会 昭和16年

当然ながら、徽章の類というのは人間が身に着けるモノ。が、例外的に、犬、馬などのために製作されたものも、あるにはある。例えば、ある種の賞(警察犬、ドッグショー、競走馬等)の記念として作られたものである。

今回紹介するのは、珍しいことに「鳩」用である。大日本軍用鳩協会の「銀色名鳩章」である。

セットで入手したものだが、要は鳩レースで賞を獲得した記念品であるらしい。裏面に「昭和十六年度 四百粁」の刻印がある。

2つセットで入手したので、漠然と大きい方が正章・小さい方が副章(略章)かと思っていた。にしては、2つの大きさがあまり変わらないのがかすかに違和感ではあったが・・・。

ところが意外や、裏面の文字をよく見れば大きい方には「胡麻」、小さい方には「人名」が刻印されている。さらに、大きい方はリボンにぶら下げる形状で、小さい方は服につける縦型留め具が付いている。

ということはつまり、この大きい方が「ハト用」、小さい方が「飼い主用」、ということなのだ。

いやしかしこれ、銀製のかなり厚みのあるツクリで、鳩が首にかけるにはかなり体力的に負担なのではないかと心配する。まあ受章ハトが日常的にケージでこれを首にかけて生活させられるわけではもちろんなく、式典でちょっと首に掛けさせて記念写真撮るくらいしか使用機会はなかったであろうと想像する。こんなものをハトが首にかけて大空を飛ぶことも困難ではないか。ハトにとっては名誉を感じるどころか、ただ邪魔で重いだけであろう。

面白いのは、大きい方がハト用で、小さい方が飼い主用だということだ。あくまでもハトが主で、人間が従という位置づけである。

このバッジを製作した大日本軍用鳩協会とはなにか。

陸軍省と軍用鳩調査委員会 は、国防資源たる鳩の充実を図ることを目指し、日本伝書鳩協会社団法人帝国伝書鳩協会の合同を提唱した。紆余曲折を経て、昭和13年10月9日をもって帝国伝書鳩協会は解散し、日本伝書鳩協会に合併された。さらに日本伝書鳩協会は昭和14年10月28日、協会名を改称し、社団法人大日本軍用鳩協会となった。(「藤本泰久. 日本軍用鳩年表 5 昭和編 2」より)

協会では、民間で育成された伝書鳩の供出や登録、優良系統の育成や訓練方法等の開発研究を行っていたようである。

なにしろ、新聞各社も1960年代まで伝書鳩を使用していたのである。戦時中、伝書鳩は重要な通信手段であり続けた。

このバッジは、戦時中、400kmもの距離のレースで入賞したのである。400㎞といえば、直線距離で東京と大阪くらいの距離がある。そんなにあの小さなハトが飛ぶのか、と改めてその飛翔能力に驚いていたら、調べたところ400㎞を早ければ4時間程度で戻ってこられるらしい。もちろん、このタイム自体は季節や天候などに大きく影響する。中には1,000㎞に及ぶレースもあるが、こうなると帰還率は1割程度とぐっと下がってくるそうだ。天敵である猛禽類に襲われたり、悪天候で命を落とすものが増えるためである。それにしてもこれほどの距離を戻ってくるハトの能力には神秘を感じる。

もっとも、ハトの能力もさることながら、その能力を引き出すための訓練が重要で、何もしないハトをただ遠くから飛ばしても何の意味もない。ハトの本能を生かし、その訓練法を編み出した人間の技術というも、思えば恐るべきものである。

バッジ本体を見てみよう。中心に真珠、4羽のハトが羽を広げた十字型のバッジである。十字の青と、よく見るとハトの目が赤が、七宝で彩色されている。

厚みのある銀製で、「沖製」という刻印が見える。東京御徒町の徽章メーカー「沖徽章商会」である。全体に高級感漂う一品である。

これは「銀色」名鳩章だが、このほか銅色名鳩章も実は手元に持っている。が、残念ながらこれまで金色名鳩章は、見たこともない。

日本 修養団 団員章

修養団団員章

ささやかなバッジながら、七宝がきれいだなーと気になったのがこのバッジ。赤いハート形に白い翼をつけたような見慣れないシンボルマーク。裏面を見ると・・・「修養団 団員章」。

おお、あの修養団のシンボルであったか、とちょっとした発見であった。

修養団については、「愛と汗」という気になる帽章?の正体が、修養団のモノと判明した件で、記事を書いたことがある。

修養団とは、現在でも活動を続けている社会団体で、今では「SYD(公益財団法人修養団)」と表記されている。明治39年に発足以来、活動を続けている団体で、公式サイトによると、

“愛と汗”の精神を理念とし、世界の福祉と平和に寄与することを目的として、「心の教育」一筋に青少年の健全育成を中心としたさまざまな活動をおこなってまいりました。

今、みんなの幸せを願う『幸せの種まき運動』を全国的に展開し、各地(国内外)で多彩な活動が展開されています。

今ではこのシンボルは使われていないのか、公式サイトでも見つけることはできない。現在のシンボルは、ハートマークを2つ重ねたようなデザインである。

このバッジの作成年は不明ながら、昭和の初めころのものではないかと推測している。

日本 日本中央競馬会 馬主記章(平成7年)

日本中央競馬会 馬主記章(平成7年)

この社会に息づく様々なバッジを紹介するのが本ブログのひとつの目的である。今日は私にとって未知の世界、日本中央競馬会の馬主記章を紹介しよう。「徽章」ではなく「記章」と表記するのは、「馬主記章」が正式名称とされているからだ。

さて、私には競馬の知識が全くない。馬主というと、なんだかお金持ちでハイソサエティなイメージはあるが、そもそも全く関心がないので、もし将来金の捨て場所に困るほどの金持ちになったとしても馬主になろうとは思わないであろう。

しかし馬主には関心がなくても馬主記章は割と好きで、うちのコレクションケースには結構様々なデザインの馬主記章が集まっている。雑多なバッジの中にあっても、なんとなく高級感というか存在感があって、つい手が出てしまうのである。

日本中央競馬会の公式サイトを見ると、馬主記章は定期的に更新されていて、古いものは使用不可となっている。毎回新たなバッジが作られるため、バリエーションが多いのだ。

さて、馬主になるとなにかいいことがあるのか。公式サイトでは馬主特典が紹介されている。

各競馬場にある馬主専用観戦席
馬主専用駐車場の利用
競馬場への入場無料
愛馬出走時のパドック馬主エリアへの入場
ウイナーズサークルでの記念写真

ところで、馬主のうちもっとも割合の多い個人馬主になるためにはいくつかの要件をクリアしなければならない。

1.日本中央競馬会競馬施行規程第7条第1号~第13号に定める事項のいずれにも該当しないこと。
2.今後も継続的に得られる見込みのある所得金額(収入金額ではありません)が、過去2か年いずれも1,700万円以上あること。
注釈:所得金額には、一時的な所得および競馬に関する所得(地方競馬賞金等)は含みません。
3.継続的に保有する資産の額が7,500万円以上あること。
注釈:資産に含まれるのは、ご本人名義の不動産、預貯金、有価証券(投資信託、債券等を含む)です。なお、保険証券、ゴルフ会員権、海外に所在する不動産、書画骨董等は資産に含みませんのでご注意ください。また、負債がある場合は資産額からその分を差し引いて評価します。

この、「所得金額1,700万円以上」とか「資産の額7,500万円以上」とかいう要件が、いかにもそれらしい。しかし果たして、どれほどの人がこの要件をクリアできるであろうか。

さて、馬主記章のことである。

日本中央競馬会競馬施行規程」172条で「競馬場内並びに競馬場外の勝馬投票券発売所及び払戻金交付所」において、馬主は「記章または通行章を着用しなければならない」とされており、一種の身分証明用アイテムとして用いられている(馬主は場内にタダで入れるのだ)。無論、他者への貸与することはできない。

画像のバッジを見てみよう。

裏面に「日本中央競馬会 H.7.」の文字がある。このように、馬主記章には交付年があるのが特徴だ(古いものにはない場合もある)。裏面に純銀製、ねじ止め式のバッジである。

馬蹄形にJRAのマーク、識別のためのシリアルナンバーがオモテ面に刻印されている。他の年代のバッジを見ても、識別ナンバーは「カタカナ1文字+4桁ナンバー」と共通している。デザインは年代により様々だ。また、公式サイトにもあるように個人馬主、組合馬主で色違いになっているらしい(さらに個人馬主でも男女で色が違う)。

馬主になるというのは、単なる馬好きとか趣味の問題ではなく、社会的ステータスなのだ。だからそのシンボルである馬主記章もなんとなく立派なツクリになっているのだろう。

ただ、縁のない身からみると、馬主が社会的ステータスだという感覚自体が、正直ピンとこないのだが・・・。私からすると馬主になるより、カッコいいバッジが手に入ればそれでうれしいから。

イギリス 「ロイヤルファミリーオーダー」 ~肖像バッジと人類と類感呪術~

先日、北朝鮮金日成・正日バッジについての記事を投稿したところだ。

この「肖像バッジ」という政治的アイテムについて、私は昔から強い関心を抱いていて、21世紀の現代にあってもそれを国を挙げて制度化している北朝鮮に対してもそういう観点からウォッチングしてきた。

ソ連レーニンバッジ、中国の毛沢東バッジなど、20世紀の社会主義国家では指導者の神格化、忠誠の証として肖像バッジが用いられてきた。北朝鮮の肖像バッジも同じ路線である。

だがもっと根本的に、この「肖像バッジ」というものはそもそも何なのか。なぜ他人の肖像が描かれたバッジを、人は佩びるのか。さまざまな勲章でも、建国英雄を描いているケースは非常に多いではないか。

 

以前、『キャサリン妃、豪華なティアラより「記章」に注目が集まる』という記事をネットで見つけてそんなことを考えていた。

これは、昨年、約8年ぶりとなるアメリカ外遊を終えて帰国したばかりの英王室のウィリアム皇太子と妻のキャサリン妃が、2022年12月6日、バッキンガム宮殿で行われた外交団歓迎レセプションパーティーに出席したときの記事である。

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https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783100/rc/2022/12/07/486cc4bfe0b0f4dfdde122f27366fbc100604b62.jpg

2022年9月に逝去したエリザベス女王が描かれている。

ちなみに、エリザベス女王肖像画が描かれた記章には、ロイヤルファミリーオーダーという正式名称がある。ロイヤルファミリーオーダーは、君主から、王室の一員として国のために貢献したと認められた女性のみに与えられるもので、公式行事で身につけられることが多い。

北朝鮮のアルミ製バッジと比べるのもなんだが、なんとまあ豪華であることか。さすがに勲章制度を極めたイギリスという感じがする。肖像は七宝製、彩るキラキラした宝石はダイヤやルビーなのだろうか。

「ロイヤルファミリーオーダー」という名前があって、与えられるのが国に貢献した女性のみというのも独特だ。

 

私が考えているのは、行きつくところ、人類が普遍的にもっている不思議な感覚である。

ジェームズ・フレイザーが説くところの「類感呪術」というのがある。思い切り簡単に言うと、「類似したもの同士は互いに影響する」という発想からくる呪術である。原始的な呪術と捉えられがちだがそうではない。

現代に生きる我々だって、親しい誰かが写った写真を破いたり、雑に捨てたりすることにためらいを感じはしまいか。逆に、ファンが好きな芸能人のブロマイドを単なるアイテム以上に大事に扱ったりするのではないか。

この「類感呪術」につながる感覚こそが「肖像バッジ」の本質であろう。偉大な人物の肖像を身に帯びることで、その偉大な能力を共有し、彼が属する集団性をさらに高めるのである。現生人類の不思議な習性と言えよう。

それにしてもスゴイね、この「ロイヤルファミリーオーダー」のゴージャスさは。

北朝鮮 金日成・金正日バッジ(2種) ~金正恩時代におけるバッジの小進化~

金日成金正日バッジ(2種)

北朝鮮の話題といえば、最近はすっかりミサイル発射問題ばかりになって久しい気がする。改革開放による国内経済力の向上も政治体制の更新も全くなく、通常兵力の拡充に見切りをつけて核開発とミサイル発射能力にのみ集中しているかに見える北朝鮮

父親である金正日の死去に伴い、三代目の金正恩が指導者となったのが2011年12月。すでに11年以上が経過したが、北朝鮮の政治体制は全く変わらず、核とミサイルを用いた瀬戸際外交ぶりがますます目立つばかりで、将来この国がどこに向かうのかまったくわからない。米中対立やロシアとウクライナの紛争といった国際政治力学の中で、妙な存在感を増しているようにすら見えるのだから困ったものである。

さて。北朝鮮といえば有名な金(金日成金正日)バッジ金正恩という新指導者登場により、新たな指導者を描いたバッジが登場するのではと予想され、私も関心を持っていた。

一体どうなったか。たぶん、金正恩バッジの登場はこれまで何度も報じられてもきたが、私は実在しなかったのではないかと思っている。

当ブログでは、過去「金正恩バッジ登場」に関する記事を取り上げてきた。が、その後何年たっても実際に画像付きで報じられた記事が一向に出てこないというのはさすがにおかしくはないか。今思えば、当時の報道は金日成(または正日)バッジを見間違えたのではないかとすら疑っている(記者の北朝鮮バッジへの無知ぶりをこれまでも強く感じてきたせいでもある)。

まあ、生産されたのは事実だがごく少数の限定生産・限定配布で・・・という可能性もなくはないものの、私は疑っている。

なぜかというと、金正恩体制のバッジへの関心のなさをつくづく感じるからである。

金正恩自身、報道写真など検証すれば明らかなとおり、最近ではすっかりバッジをつけることをしなくなった金正恩夫人の李雪主氏もつけないのが常態化したようだ。

何より、金正恩体制になってから10年以上が経過したというのに、バッジの種類がほとんど増えていない実態がある。新体制当初こそ、「金日成金正日」の2人の肖像が並んだ新型バッジが登場し、新たなバッジがこれからどんどん普及していくのではないかと思われたが、その後はぱったりである。

(注意。これも私の北朝鮮バッジの観察力が行き届いていないだけで、実際には未知のバッジが増えている可能性を一応留保しておく必要はあろう。だが事実としては金正日時代に多数の種類のバッジの登場したのとは全く対照的である。)

画像のバッジは、金正恩時代になって登場した「金日成金正日」タイプのバッジである。ここでは2つのバッジを掲載したが、同タイプのバッジには、裏面のツクリなどいくつものマイナーチェンジが確認されている。

さて、この2つのバッジは、上のものが2012年に入手したもので、下が2020年。むろん、いずれも本物と判断している。

パッと見そっくりだが、裏面のツクリもさることながら、オモテ面にも変化がある。まず肖像背景の赤い背景部が、上は普通なのに比べ、下はキラキラと光を反射する。そのため肖像が少し浮き出て見える。

また、旗頭部の形状も異なる。上は棒状に飛び出しているが、下は槍穂状となっている。

旗頭の形状については、これまで金日成時代から連綿と続く「党旗型」、または総連系「国旗型」バッジでもこのようにはっきりとした槍穂の形をしているものはない。

そのため、槍穂型の登場は比較的最近登場した旗型バッジにおける「進化」と考えてよい。背景のキラキラ赤も同様、このような色をしたものはない。

まあこのようなマイナーチェンジは確認されるものの、新たなタイプのバッジが普及している様子は全くなく、やはり金正恩体制のバッジに対する関心の希薄さがうかがえるのである。

テレビなどで映される北朝鮮国内の様子を見る限り、依然として人々は金バッジを胸につけている。ただこの政権のバッジへの関心の希薄さは、やがて少しずつ国民にも広がっていくのではないかということを予感させる。

日本 神戸中華同文学校バッジ

神戸中華同文学校バッジ(2種)

令和4年末の日本の在留外国人数は過去最高を更新し、初めて300万人を超えたという。国籍別では中国は最も多く、以下ベトナム、韓国、フィリピンと続く。

中国とは地理的、歴史的につながりの深い日本には古くから華僑社会があり、その子弟のための民族学校が各地に存在した。戦前最も多かった時期には全国に10校が存在したが、現在は5校(東京中華学校、横浜山手中華学校、横浜中華学院神戸中華同文学校、大阪中華学校)となっている。

第2次大戦後の共産党と国民党の対立は、日本の華僑社会でも深刻な影響を与えた。日本の中国系民族学校は今でも大陸系と台湾系に色分けされる。幸いなことにかつてのような対立構造は完全に薄れてはいる。

さて、今日紹介するのは、神戸中華同文学校のバッジだ。現存する中華系学校の中では、唯一「同文」という日本と中国の関係を強く意識する単語が校名に入っている。同校は大陸系の学校である。

学校の沿革によれば、学校の歴史はいくつかの合併を経て現在に至っている。

1899年、日本に亡命中の梁啓超が学校の設立を呼びかけに有力華僑商人が応じ、翌1900年に「神戸華僑同文学校」が完成。名誉校長は犬養毅であった。

1928年、神戸華強学校と中華公学が合併し、「神阪中華公学」と改名。

1939年、神戸華僑同文学校と神阪中華公学が合併し、「神戸中華同文学校」と改名。

丸形のバッジは校章であり、現在も同じ校章が使われている様子が公式サイトに見ることができる。

なお、同校の公式サイトでは、校章のデザイン作者について以下の記載がある。

李平凡(本名:李文琨、別名:里肯)、本籍天津市津南区高庄、1922年5月13日生まれ。天津高庄小学校及び天津市美術館西洋画科で学ぶ。1943年、同郷の人である当時の神戸中華同文学校校長李万之に招請され、本校の美術教師となる。

校名が「中華同文学校」に定まったのが1939年なので、バッジの作成年はそれ以降のものとなる。年代を特定することは困難だが、50年代頃のものではないかと思う。

私のコレクションの中にも学校関係バッジは多いが、国内の民族系学校のものはユニークである。