徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

カンボジア 警察?帽章

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いつかきっと見なけりゃいけない映画だ・・・と思いつつ幾星霜。この前も近所のレンタルビデオ屋でその存在を横目で確認しつつ、スルーしてしまったものだ。
その映画の名は「キリング・フィールド」(1985年公開)。70年代、内戦のカンボジアを訪れたアメリカ人記者が目撃したポルポト政権下における大虐殺を描いた映画だ。
しかし・・・あらすじを聞いただけで気の弱い私はダウン寸前。残念ながら見る勇気はいまだにわかない。

北ベトナム政権支援のシアヌーク国王を打倒するため、アメリカの支援でロン・ノル政権がクーデターで樹立。ところが、これが同情の余地のない腐りきった政権で、カンボジア国内に反米の気運が高まり、あのアメリカですら愛想を尽かされる始末。ロン・ノル打倒の兵を挙げた共産軍、クメール・ルージュポル・ポト派)は内戦に勝利する。こうして1976年、「民主カンプチア」が誕生した。
当初、ロン・ノル政権の腐敗と不正に不満をつのらせる国民は、新政権に熱い期待を寄せたが、たちまち現代史上最悪の政権と化す。農本主義と原始共産主義風な思想を掲げて、強制労働と圧政で2百万人もの国民を殺害したと言われる。今でも1300万人程度の人口の国で、これだけの人間を殺した凄まじさ。

1979年、隣国ベトナムに亡命していたヘン・サムリンら(彼らももとクメール・ルージュなんだが)がベトナム軍の力を借りてポル・ポト政権を打倒。民主カンプチアの地獄が世界に知られることとなった。が、ポル・ポトらは密林に逃げ込み、延々と内戦状態が継続することとなった。

これはヘン・サムリン政権時代のものと思われる、恐らく警察の帽章。薄い銅板を加工して作ってあり、中央にはアンコール・ワットのシルエットが描かれている。