徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

台湾 慈湖謁陵記念バッジ(蒋介石)

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昨日、台湾の地方選挙の結果が報じられたが、それによると与党民進党が大敗し、野党国民党が勝利を収めたという。2008年の総統選で、総統の座を国民党が奪回するかどうか注目が集まっている。

さて・・・台湾というのは何というか、冷戦構造の隙間に落ち込んで「国であって国でない」状態が延々と続いている。中台双方の「政治的フィクション」の結果なのだが、台湾独立を掲げる民進党が必ずしも大多数の国民の支持を集めているわけではない現実から見ても、この状態はさらに続いていくのだろう。

中台双方のフィクション、と書いたが、その一つの象徴として、このバッジを紹介したい。
1949年に共産党との内戦に敗れ、台湾に渡った蒋介石・国民党政府は、「武力反攻」をスローガンに、共産党政権を打倒することを臥薪嘗胆の思いで誓ったものであった。台湾はあくまでも中華民国台湾省という位置づけであり、台北は臨時首都とされた(正式の首都は南京)。大陸では、共産党政権による急進的な政策が打ち出され、大躍進運動の失敗や文化大革命など、政治的大混乱が続いた。だが、蒋介石の望みは外れ、共産党政権はいっこうに揺るがなかった。

1975年、蒋介石総統が死去。最後まで武力反攻をあきらめなかった蒋介石は、遺言により台湾での埋葬を拒否。故郷の浙江省渓口鎮に似た桃園県慈湖に「仮安置」された。このバッジは、その拝謁記念である。
仮安置というのは、言ってみればまだお通夜だけで、告別式が終わってないという状態だ。それが30年以上も続いている。

中国政府との交渉で、大陸での埋葬も検討されたものの実現せず、ようやく今年になって台北県五指山の国軍墓地に正式に埋葬されることが決まり、その施設も完成した。だが、またまたその計画も暗礁に乗り上げ、結局仮埋葬状態はまだ続きそうな雰囲気だ。蒋介石が埋葬されていないという理由で、息子の蒋経国も仮埋葬のままだったのだが、こちらも先延ばしとなるのだろう。

個人的には、ここまでフィクション状態もこじれると実におもしろい・・・とは思うんだけどな。