徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 香港製文革期毛沢東バッジ

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香港の混乱が、まだまだ続いている。香港から中国への犯罪容疑者の引き渡しを可能にする条約案に対して、市民の反対運動が高まり、大混乱に陥っている。今のところ混乱が収束する見通しは立たない。

アヘン戦争以来、イギリスの植民地化した香港。1997年に中国に返還されるも、すでに150年以上にわたってイギリスの影響下で独自の社会が形成された結果、返還といってもすんなりと中国本土と同化できるわけもなかった。そこで一国二制度という緩和措置によって、一つの国でありながら独自の国境や法体系を維持し続けることになった。

一国二制度というのは、中国側から見ればいわば「ソフトランディング策」であり、いずれは一体化することを前提とした妥協策という考え方であろうが、香港人からすれば、もはや中国本土との同化自体、受け入れられない現実なのだろう。それが今回の混乱の根本にある。

香港では、「自分は中国人でない、香港人である」と考える人が多いらしく、中国当局では今回の一連の混乱から独立運動への発展を警戒している。

私は1997年7月の中国返還直後の香港に行ったことがある。

それ以前にも香港には一度行ったことがあったので、返還で香港がどう変わったのだろうかと関心を持っていた。しかし、全然変化は感じられず拍子抜けするほどで、一国二制度の維持というのはこういうことかと思ったものだ。

さて、画像のバッジは、文化大革命時代の毛沢東バッジである。1968年の国慶節記念で製作されたものだ。直径60mm以上ある比較的大型の毛沢東バッジだ。毛沢東の周りを取り囲む赤い星は19個。建国19周年を表現している。

裏面には「歓呼プロレタリア文化大革命全面勝利 慶祝国慶 1949-1968 香港 大公報」とある。

香港の大公報とは、中国系(共産党寄り)の新聞で、文革期には毛沢東礼賛一色の記事を掲載していた。記念品として毛沢東バッジを作っていたのもっともだ。

私は香港・マカオ製の毛沢東バッジには以前から関心を持っていて、見かけるたびに集めているが、少しパターンというか特徴があって、慣れてくると「あ、これ香港製じゃないか?」と気が付くようになる。おそらく香港での毛バッジのメーカーがごく限られていたせいではないかと思っている。

文化大革命期の香港では、イギリス当局への不満が中国共産党毛沢東への支持へとつながり、しばしば文革の影響を受けた反英運動が盛り上がった。したがって、香港でも当時それなりに毛沢東バッジの需要があったのだ。

しかしそれも今や昔。皮肉なことに中国に返還された今、香港当局への市民の不満は、そのまま中国政府に向かっている。この混乱、どう収束するのか全く分からない。

さすがに第二の天安門事件(六四事件)はないと信じてはいるのだが。