徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 文革期毛沢東バッジ

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文革期の毛沢東バッジについて、もう少し語ることにしよう。
もっとも、私にこれを語らせたらそう簡単には終わらなくなってしまうのだけれど(笑)。

なにしろすごい世界なのだ。
世界徽章文化上、特筆大書すべき項目なのだ。

毛沢東バッジというと、文化大革命の時代中国人がみなつけていたあの赤いバッジを普通は思い出すだろう。
中国では、毛沢東バッジはそれよりずっと以前から存在はしていた。が、軍や党の功労章、労働模範などの表彰に毛沢東バッジやメダルが使用されていた。あったにせよ、大衆的な普及とは意味合いが少し異なる。
その状況が一変するのは、やはり文化大革命の発動以降だ。猫も杓子も、みな毛バッジを身につけた。
大流行なんてものではない。正確なところはわからないが、文革期に製作された毛バッジの数は、実に20数億とも、80億枚という。また5万種類とも、10万種類あるともいわれる。

さて、大量生産は質の変化をもたらさずにはいない。文革期毛バッジの特徴のひとつは、アルミ製バッジの大量生産だ。もちろん、アルミ以外の材質も多い。銅、鉄、プラスティック、アクリル、木、竹、陶器、なかには貝殻製、象牙製などというものまである。
アルミは精錬に大量の電気を消費する難点もあるが、融点は低く加工しやすい。大量生産にはもってこいの素材である。

さて、1966年に勃発した文化大革命で、大衆はこぞって毛バッジを身につけたが、初期のものは小さくて円形のごくシンプルなものであった。
画像がその初期型の毛沢東バッジ(たぶん上海製)である。直径は約1cm。

これが、文化大革命の加熱とともに、どんどん多様に、大型に、さまざまな趣向までこらされるようになっていく。

だが、それを、革命への熱意、ととらえるのは誤解であろう。
その本質は、より珍奇なものを追い求める人間の本性、これである。