しばらく前に撮りためてあったNHKスペシャルを何本かまとめて見た。その中で強い印象に残ったのが「戦没者は二度死ぬ~遺骨と戦争~」であった。
日本人戦没者のものとされてきた遺骨が、骨の形状やDNA分析結果によって日本人の骨ではないと判定されたり、現地の遺骨収集のずさんな実態が明らかにされたり、見ていてやるせない気分になった。うちの親戚にも、海外戦没者がいるのだ。
しかし、遺骨収集事業に大きな問題があることはこれまでも報じられてきているので、意外だとは感じなかった。むしろ興味深かったのがアメリカの姿勢で、金も時間もかかる遺骨の個人特定を徹底して行っているという。どうも厚生労働省がどうのこうのというより、日本社会全体に「そこまでしなくても別にいいんじゃないか」というような気分があって、そこに根本的な原因があるようにしか思えない。
一方で、遺族にとっては、骨のひとかけらでも家に持ち帰ってやりたいという思いは依然として強い。その思いに対して日本人自身がどう答えるのかということである。
画像のバッジは、「財団法人日本遺族会 政府派遣戦没者遺骨収集団」とあるバッジである。平和のハトが羽を広げてとまっているのは、土を盛り上げた墓であろうか。裏面に文字はなく、いつのモノなのかは不明である。
「政府派遣」、というところがわずかに印象的だ。単なる民間団体の事業ではない、国が遺族の思いに応えて実施しているのだ、という気持ちが込められている気がする。が、遺骨収集について、戦没者遺族の切実な願いに、これまで本気で国は、国民は向き合ってきたといえるだろうか。
日本には国立の戦争博物館がない。世界中には普通にあるのに。
靖国神社の「遊就館」の説明内容に対して中韓のみならず欧米も含む外国から異議申し立てがあっても、政府は「神社側がやっていることであって国は関与していない」としてきた。それで済ませてきた。
では国も作ればよいではないか。でもできない。やればあの戦争は何だったのかを巡って大激論が起こるのは必至で、そんなリスクしかないことをあえてやりたくないのだろうと思っている。
遺骨問題にしても、結局原因はそこにあるのではないかという気がしてならない。遺族の手前、遺骨収集などやりたくないのでやりませんとは言えない。でも、本当はみんな、もう見たくも考えたくもないんじゃないか、と。