このブログでは、衰退しつつある日本の徽章文化について幾度となく言及してきた。古いバッジを眺めるたび思うのは、なぜこんなに多様で凝ったバッジが製作されてきたのかという点であった。様々な団体で、様々なイベントで、様々な記念の品として、バッジが生み出されてきた。しかし、その力は確実に落ちていく一方に見えてならない。
画像のバッジを見てほしい。菊花の中央に大学マークの入ったネジ式バッジである。
学章か?いや、裏面の文字で初めてこのバッジの驚くべき正体が明らかになる。
要するに、大学で政治を学ぶ学生たちが模擬国会を行うときの小道具らしいのだ。「模擬裁判」でも、雰囲気づくりのために裁判官役の法服を手作りして準備することがあるらしい。きっと日大政経学会の「模擬国会」はかなり本格的なイベントであって、できるだけリアルな雰囲気を追及するために、議員記章が必要となったのだろう。
それはわかる。しかし、わざわざバッジまで作るか!?と私はひそかに驚いたのだ。これ、材質こそ銀製ではないが、徽章メーカーによる本格的なバッジである。模擬国会ではこのバッジをつけた学生は、きっと代議士気分を感じることができたのであろう。
さらに言うと、画像のバッジは1956年とあるが、実は日大政経研究会が製作したこの他の年代入りのバッジも私の手元にある。このため、もしかしたら模擬国会バッジは毎年作られていたのではないかと疑われるのだ。
どうであろう、現在でも政治の学習のために模擬国会等も行われることもあるだろうが、そのためにわざわざ専用のバッジを製作するであろうか。1950年当時の徽章文化と、現在との差を感じる。当時は「バッジを作る・配る・使う」という行為が、今よりずっと身近だったのではないかと思えてならない。
なお、衆議院は1949年、参議院も1953年から全金属製から現行の座布団付きバッジになっており、このような形式のバッジは、どちらかといえば都道府県議員記章に近い。「模擬県会議会」用のバッジであったならより完璧・・・。