徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 (ニュース)大阪府議会の議員記章が「木製」になるそうです

(※通称「議員バッジ」は、一般に正式名称を「議員記章」という。「バッジ(Badge)」そのものを指す場合、ここでは、「徽章」の漢字を当てる。「記章」と「徽章」の漢字はその意味で使い分けているので念のため)

事前の予想に反して、終わってみれば自民・公明はやや減少するもほぼ勢力を維持、立憲民主は凹んで、躍進したのが維新の会、という結果になった先月の衆議院選挙(第49回衆議院議員総選挙)。

その維新の会が、大阪府議会の議員記章を「改革」するという。

www.yomiuri.co.jp

大阪府議会(定数88)の議員バッジの素材が、「木製」に変更される見通しとなった。現在は1個2万2000円の金メッキ製だが、経費節減のため地域政党大阪維新の会が提案していた。木製は破損の懸念もあるため、現在より約6分の1の価格となる金メッキ製のバッジも作って併用するが、議員1人あたり1万円以上の経費節減になるという。

(2021/11/22読売新聞WEB版)

 

この議員記章の製作費の削減の動きは最近のトレンドと言える。

京都府ではバッジ本体が金、中央部分がプラチナで、かつては単価が政令市最高の6万1600円だった京都市議会は、19年に本体を銅製金メッキ、中央部分を銀に変えたところ、1個9000円になった。

(同記事)

京都府と同様に大阪市議会でも金製から真鍮金メッキ製へ変更を発表(ただし大阪市議会では議員記章は貸出という扱い。退職時に返還する)。

また、佐賀市議会では顔写真入りネームプレートへの変更するなど、議員記章そのものを見直す動きすらある。今後もこの動きは進んでいくだろうと思われる。

しかし、この大阪府議会の木製バッジは、私にとって結構インパクトが大きかった。

維新が提案したのは、府産のヒノキを使用した木製バッジ(約5000円)。しかし、他会派からは「木製だと割れるのではないか」「歯車のデザインなので金属製の方がいい」との意見があり、最終的に従来より安価な金メッキのバッジ(約3700円)も一緒に作ることで大筋合意した。

(同記事)

こんな木製バッジが5,000円するというのもそれなりに意外だが、結局メッキ製のバッジとの併用ということで落ち着きそうなのが中途半端な感じを受ける。おそらく議員側にも木製バッジに反発する人が多かったのではないかと思われる。

しかし、いくつもの疑問がわく。

維新の会がもし改革をしたいのであれば、議員記章は、議員がすべて自費購入(又は使用料を徴収)する制度にすべきである。これなら府財政への負担はゼロになる。なぜそのような議論が出ないのか。きわめて大きな疑問である。

確かイギリスでは、勲章は国が個人に対し佩用する権利を与えるもので、勲章そのものは自己購入だったはずだ(←うろ覚えです)。合理的と思う。

おそらく「議員バッジ改革」の本旨は、議員の権威、その象徴であるバッジを自ら変えるという「改革姿勢」有権者に見せたいのではないかと疑う。だから、バッジ改革でいくら経費が削減するかなど、本当は些末なことなのではないか。そうは言わず、経費節減だけを前面に出してくるあたり、「議員権威の意識改革論」になると議員の間で面倒を起こしかねないので、そういう議論は避けたいのが本音ではと疑う。

木製バッジにしたところで、ひとつ5,000円もするのだ。自費購入でプラチナ製だろうと木製だろうと選択できるようにすれば、経費としてはゼロ、この方が改革効果は高いはずである。せめて、貴金属にしても、今回の東京オリンピックのメダルように、リサイクルマテリアル製にするというのはどうだろう。SDGsっぽくてよいのではないか。

私ならプラチナ+純金製のひとつ何十万円もするバッジを断固特注する。

 

また、ヒノキ材でバッジを作るということにも違和感がある。

ヒノキというのは木材としても非常に軽く柔らかい。やったことのある人ならわかるだろうが、ヒノキというのは細かい彫刻を施すのにはまったく不向きな素材だ。徽章に用いるには不適で、せめて木材ならもっと密度の高い目の詰まった硬い材質のほうが良いと思うが、府産材にこだわるとヒノキになったのだろう。

 

もう一つ思うのは、そもそも徽章というものの価値ってなんだよ、という点だ。これはこの「徽章文化」というこのブログのテーマそのものにも近いので、少し私論を述べたい。

改めて公表された木製バッジを見てほしい。

正直、驚くほど安っぽい。これ、もらってうれしい?

百害あって一利もない「改革ポーズ」としか思えないのである。徽章というアイテムは、「存在感」「高級感」が重要なのに、その価値を大きく棄損するだけでないのか。

徽章は、美しくあらねばならない

それを無駄というなら無駄であろう。でもそれを言うなら、婚約指輪に大枚をはたくのも無駄である。きらめく貴金属や宝石の輝きや高級感に、人生の節目への思いを重ね合わせる必要など、本来何ひとつない。それは浪費に過ぎないのだろうか?

私自身は、アクセサリーというものをこれまで人生一度も身につけたことがないので、アクセサリー全般を無駄と断じるのに、ほとんど躊躇はない。

でも、それになんらかの思い入れを抱く人の気持ちはわかる。その思い入れこそが、アクセサリーの真の価値なのだ、という意見にも共感する。

そもそも議会の改革をしたいなら、もっと本質的に議論すべき点(議員定数、歳費、政務調査費等の経費)はいくらでもあるはずで、それを差し置いてバッジを金製から木製に替えますって言われても、バッジそのものに強い思い入れを持つ私としては、まったく賛成できない。

ただ、こういう意見は、世間では正直少数派であろうと認めざるを得ないのだけど。

 

徽章文化は、いよいよ冬の時代である。

このヒノキ製議員記章の画像を見たとき、ああここまで来ちゃったのか・・・と暗澹とした気分になったことを付け加えておく。

もういっそ、議員バッジなんてなくてもいいんじゃない?