徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 明治のバッジ・五二会正会員徽章

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19世紀から20世紀にかけて、世界中で博覧会ブームともいうべき現象が起きていた。博覧会では、文明の進歩を誇示するかのように、最新の文物が展示され、来場者の目を奪っていたのである。今ではオリンピックが世界最大のイベントとなったが、かつては万国博覧会こそその地位にあったといえよう。

日本は、殖産興業の起爆剤として、海外の博覧会にも積極的に出品を行った。今まで培ってきた伝統工芸をカネになる輸出産業に育てるべく、涙ぐましい努力を重ねていったのである。
五二会もそんな時代のニーズに応えるべくして生まれた団体である。明治27年、織物・陶磁器・金属器・製紙器・雑貨類の5品の製造、販売奨励のために品評会が開催された。さらに敷物類と彫刻が加わったため、「五二会」と称されるようになったものである。

画像はその正会員徽章で、ヤジリの形に青い花が描かれている。5弁の花と2枚の花びらで、五・二の数を表している。なぜヤジリ型なのかはよくわからない。
裏面には「五二会正会員章」と4桁のシリアルナンバーが漢数字で縦並びに刻印されている。

なお、このバッジは箱付きで、ふたの裏に「東京池之端仲町 梅屋沓谷瀧次郎」と書かれた紙が貼られている。どうやら「梅屋」というのは屋号と思われ、「沓谷瀧次郎」が個人名のようだが、金属装飾品を製作していた老舗とのことである。東京国立博物館のサイトで、瀧次郎の作品を見ることができた。
明治時代には、こういうところが徽章製作を請け負っていたのだなあと興味深い。