徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 大阪商業会議所議員徽章

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さまざまな組織で、地位や所属を示すために作られてきた徽章。徽章文化研究会の看板を掲げる当ブログでは、近年ますます衰退の一途をたどる徽章文化を嘆きつつ、過去の優れた作品を紹介してきた。

そして、昔は、どうしてこれほどまで・・・と思うほどリキの入ったモノが作られたりした。今日はそんな一点を紹介しよう。

画像は大阪商業会議所の議員徽章である。
昔の両替商が使っていた分銅型の中心に「商」の文字、その周りを大阪の「大」の字が5つ取りまいている意匠である。
ちょっとベタなデザインはともかく、このツクリは見れば見るほどすばらしい。中央の分銅型の部分と、周りの「大」の字飾りは別パーツになっているようだが、接合が正確で、かなりよく見ないとわからない。「商」の字は黒い七宝で、盛り上がっているのがわかるだろうか。
最近のツクリのバッジとはランクが違う。おそらく画像を見るよりも実物の方が遙かに良い。私もあらゆる角度から眺め回し、このツクリのすばらしさには惚れ惚れした。

さらに、こだわりポイントはバッジの細工だけではない。
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箱には2種類の付属金具がついている。ひとつはスティックピン、もう一つはネジ式の裏足である。
これがバッジ本体と共に、箱にピタリとはまるようにできている。服の種類に応じて、バッジの留め方を選べる工夫である。他にも例がないわけではないが、かなり珍しいといえる。
確かに、例えば和服や女性の服ではネジ式のバッジは止めることができないし、普通の背広などではスティックピンよりネジ留め式の方が便利である。

残念ながら、製作年代は不明。大正から昭和初期にかけてのモノではないかと推測するばかりである。
大阪商業会議所は、明治11年に設立された大阪商法会議所が前身で、明治24年大阪商業会議所に改称。昭和29年に大阪商工会議所とさらに改称されるまで、半世紀以上この名称が継続した。
会議所議員のプライドの高さがバッジからにじみ出ているような気もする。
分銅型の意匠には、「商業の街大阪」の歴史に対する思いが込められているのであろう。

ちなみに、箱蓋裏のマークから、帝国徽章商会製と思われる。となると東京産か。徽章業は大阪よりも東京の方が盛んだとは思うが、関西にも優れたメーカーがないわけじゃないのになあ。

個人的に商業(商工)会議所に特に関心があるわけでもないのだが、ここのまでの名品なら話は別。もちろん、昨今の商工会議所バッジじゃあ、手にとる気にもならない。