徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 第六戦区第九日本管兵管理所の名札

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戦争が終わってしまえば、兵隊の考えることはただ一つ「いかにして無事に故郷に帰るか」に尽きる。
だが、故国を遠く離れた異国の地では、往々にしてそれは容易なことではなく、多くの人が数奇な運命をたどった。
かのシベリア抑留もそのひとつだが、あれは戦後の兵隊の運命としては、最悪なもののひとつといっていい。

中国大陸に大量に取り残された日本兵は、戦勝国となった中華民国政府により、各地の管理所に送られることとなった。
このネームタグは、そうした管理所送りとなった日本兵の持ち物だったのだろう。
ウール地の冬軍服の布地を切り取って作られたもので、上部にボタンホールが開けられていて、これで胸のボタンに留めたのだろう。

おもしろいのがこの様式で、まるで国府軍のネームタグとそっくりの形となっている。じつはこれ、日本のノミの市で買ってきたものだが(200円也)、チラッと見たときは中国軍のものかと思ったほどだ。
「第六戦区第九日本管兵管理所 大字第一四六号 中華民国三十四年度佩用」。
(ご丁寧なことに、一度アラビア数字で書かれたあと、二重線で消されて漢数字が書かれてある)
左側には縦書きで持ち主の名が書かれているが、墨で塗りつぶされている。

画像でもわかるとおり、2枚重ねの名札で、表をめくるとこの人物の出身地、所属部隊が記載されている。滋賀県出身者であったことがわかる。
中華民国三十四年」といえば1945年だから終戦の年である。

しかし、日本のノミの市に出てくるくらいだから、この持ち主は生きて日本に帰って来ることができたのだろう。おそらく、死後遺品とともに流出したのではないか。
それまで、ちゃんと捨てずに日本まで持ち帰った元日本兵=持ち主の心情を思わずにはおれない。苦しかった時代の証と思って取っておいたのだろうか。