徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

アメリカ ニクソン訪中記念メダル

イメージ 1

1972年、ニクソンが中国を訪問。それまで対立関係を続けていた中間人民共和国とアメリカは国交を樹立することとなった。
しかしそれは、アメリカが反共産主義拠点として支援を続けてきた中華民国(台湾)と手を切り、中華人民共和国へ乗り換えることを意味した。大陸奪還をスローガンに掲げる中華民国からしてみればアメリカによる裏切りでもあり、蒋介石のショックは想像するだに同情に堪えない。

もっとも、アメリカ・ソ連・中国の三つ巴の冷戦構造では、中ソ対立は戦争一歩前まで進んでおり、中国とアメリカともに手を結ぶことは、対ソ連関係において米中両国の合理的な判断であったといえる。

1971年には中華人民共和国が国連に参加、同時に中華民国は外されることになる。中国の主権は中華民国ではなく中華人民共和国にあるという提案を国連で行ったのは、あのアルバニア人民共和国である。もう中国人も忘れていることかもしれないけど。
もっとも、国連承認にせよ、中華人民共和国は次々と世界主要国と国交関係を成立させており、国連でも中国の主権はすでに人民共和国側にあると判断されたのも現実的判断である。こうして、今に至るまで台湾は国連の蚊帳の外に置かれ続けている。

中華人民共和国の国連承認、米中接近というこの出来事は、戦後世界の政治環境に大きな影響を与えた。

画像のメダルは、アメリカで制作されたものである。
表面がニクソン大統領と周恩来首相(ともにあまり似ていない)「ニクソン大統領北京訪問 1972年2月21日」、裏面が国連参加を記念したもので毛沢東(これもあまり似てない)と国連ビル?、そして「中華人民共和国加入連合国記念一九七一年十月」という微妙に違和感のある漢字書体で書かれている。アメリカ人が書いたのだろうか。

この後、日本首相の田中角栄訪問により、日中国交正常化(回復でなく「正常化」という表現が採用された)が成し遂げられた。同時に、日本も中華民国・国民党政府を見放すことになる。

余談ながら、国連で中華人民共和国承認の提案を行ったアルバニアだが、米中が手を結ぶに至っては、それまでは親中的態度を豹変させて中国を批判する。これに対して中国もアルバニアに対する支援を打ち切る。
・・・客観的に考えてみればアルバニアの方がスジとしては正しい気もするが、リアル・ポリティークの世界では「スジ」などというものは、常に後からついて回るオマケみたいなものなのであった。