徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

Batalo en la Au^kcio ! エスペラント超ビギナー、オークションに参戦!

初めてのエスペラント世界大会で、その雰囲気にすっかり呑まれてしまった私。
だが、1週間の開催期間のうちで、あえてこの日(8月10日)を選んだのには、実は明確な理由があった。

今回の世界大会のサイトでずっと前から発表されていたプログラムの中で、私の目を引くものがあったのだ。
それはずばり、Au^kcio」、つまりオークションである。エスペラントに関する様々なアイテムが出品されるらしい。こいつはぜひ行かねば!と私の心は決まった。オークション開催日に参加しよう、と。それが8月10日だったわけだ。

10日は金曜日だから、1泊して翌土曜日の閉会日に帰ってくることにした。そして重要なのは、参加当日までに、ある程度エスペラント語がわからなければならないということである。オークションでも、進行や出品物一覧表はエスペラント語オンリーのはず。私が付け焼き刃ながらエスペラント語の自習を志したのは、実はこのためである。
それにしても、エスペラント語も初めてなら、ネットではないナマのオークションに参加するのも初めてだ! いったいどうなることやら・・・


大会には様々なプログラムが組まれている。UEA委員会会議、普及のための会議、活動報告、各種セミナー、講演、会話教室といったカタイものから、演奏会、懇親会や遠足などといった参加者の親睦を深める催しまで多岐にわたる。オークションもひとつのプログラムに過ぎない。
もちろん、すべては通訳なしのエスペラント語だけで進行する(それがこの大会の特徴である)。私もいくつかのぞいたが、残念ながらさすがに歯が立たなかった。
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(UEA委員会会議の様子)

ところで、私はエスペラント語に対して今までちょっと不思議に思っていたことがある。つまり、国際補助語であるエスペラント語には、基本的にこれを母語とする者がいない。とすると、発音は決められているが、「正しい発音」というのは何なのだろう?ということだ。誰の発音が本当に理想なのだろうか?
しかし、今回いろんな人が話すエスペラント語を聞いているうちに、私は大いに納得するものがあった。

つまりは、みんながそれぞれの「方言」で話しているようなものじゃないかと。そしてそれでいいのである。
日本人の話すエスペラント語は、「カタカナ英語」ならぬ「カタカナエスペラント語」風であり、インド人?のそれも、ドイツ人のそれも、やはりそれなりになまっている。それでOKなのだ。
ちょっと不思議な感覚ではある。

おかげで、初心者にもプレッシャーが少ない。エスペラント語は、全員にとって外国語なのだから。下手を恥じる余地が、そもそもあまりないのである。
・・・などと、オークションが始まるまで、あちこちの部屋をのぞき、傍聴しながら、エスペラント語の本質について私は思いを馳せていた。
まあそんなことは、エスペラント語関連の本にはいくらも書いているわけだが、実際に体験したというところが重要なわけだ。


午後2時、オークション開始時間。
人気イベントらしく、たちまち部屋が混み始める。私は早めに会場に入り、よく見えるように前から2列目の真ん中の席を確保した。
受付のところで見せてもらった大会資料(正規の参加者のみ配布。私のような1日参加者にはもらえない)を斜め読みしたところ、出品物はUEA(世界エスペラント協会)の蔵書や個人からの寄付のようである。落札代金は今後の活動などに寄付されるということらしい。

出品リストは開始直前に会場で係の人が配ってくれた。
どれどれ。・・・ドキドキしながら急いで目を通す。出品数は全部で57点。
古いバッジでもあったら欲しいなと思っていたのが、残念ながらそれはなかった。ほとんどが古本のようである。
辞書、言語問題、定期刊行物、学術書、歴史、文学、その他・・・・そんな中でまず目をひいたのは、「その他」の項目にあった、「Pola medao L.L.Zamenhof 1859-1917」。
これは辞書をひかないでもわかった。要するにポーランドで作られたザメンホフ先生のメダルである。これはちょっとよさそうではないか?

時に辞書を引きつつ、懸命にリストに目を通していたので気づかなかったが、いつの間にか前の方に人だかりが。出品物の展示である。これはぜひ見なくちゃ。
やはりほとんどが本で、私の趣味的には、リストにもあったメダル以外には、残念ながら心の琴線に触れるモノは見あたらなかった。
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(出品物を確認する参加者たち)

私は腹を決めていた。ここまでやって思い入れだけでがんばってきて、手ぶらで帰ることはしたくない。なんとしてもこのメダルを落札しようと。メダルのひとつくらいは落とせるだろう。

だが見ていると、このメダルに関心を持った人は割と多いらしく、いろんな人がメダル手にとってあれこれとチェックしている。
むむ、まずい。

いよいよ本番。
オークショニア(オークションの仕切り・進行役)は、初老の白人男性。もちろん、よどみない流暢なエスペラント語を操っている。

オークションの流れは、オークショニアが、まず出品物の説明を行ったあと、最低価格から希望者がいないか呼びかける。「では1,000円から。1,000、1,000ないか?」。
入札しようとする参加者は、手を挙げて彼に合図する。すると彼はその額に一定額を上乗せした額で購入しようとする人がいないか呼びかけ、もし手が挙がらなければその額で落札、という仕組みだ。
手を挙げるだけなので簡単そうだな、と私は安堵した。しかも、見ているとどれけっこう安い。1,000円スタートで、ほとんどが2~3,000円で落札されていく。幸い、私はオークショニアが呼びかける数字だけは完全に聞き取れた。学習効果だ。

オークションの行方に気をもみながら、このイベントで私はまたちょっとした感慨にとらわれていたのである。
オークショニアのおじさんの進行は本当に上手かった。おかげで場は多いに盛り上がり、見ているだけでもおもしろそうだった。
エスペラント語のジョークに、それを解する人たちが爆笑している。彼は最後までほぼ満席の参加者を大きな笑いに沸かせ続けていたのである。

無味乾燥な人工言語で人間の自然な感情を表現しきれるはずがない、だからエスペラント語など普及するはずはない」・・・・というのが、昔から根強くあるエスペラント語への批判である。無知と誤解と悪意に満ちた、的外れな批判だ。

この満場の笑いを聞け!ざまあみろ!
私はなんだかうれしかった。
ああ、それにしても、この笑いに参加できないのがつくづく残念だ!
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(盛り上がるオークション会場。わき上がる笑い声)

話を戻すが、オークションの順番はリスト通りではなく、バラバラだったので、今どの品物なのだろうかとリストを見ながら聞き耳を立てていると、スタートから10番目くらいで突然目指すメダルが登場した!

たちまち複数の手が上がる。だんだん人数が絞られてきたのを見極めてから、ついに私は手を挙げた。
「Okmil ? Okmil ! Okmil kvincent ? Okmil kvincent !(8,000?8,000!8,500・・・)」
この辺からは私ともうひとり(後ろの方の人なのでこちらからは見えなかった)の競り合いとなった。2人の競争に、図らずも会場の注目が集まる。が、結局相手はあきらめてくれたようだ。
Dekmil kvincent ! C^i tiun sinjoron ! (10,500、こちらの方に!)」(注)
オークショニアが私を指し、会場から拍手が起こる。終わった。係の人が、落札物のナンバーが書かれたメモを持ってくる。1万500円なら、十分だ。
(注:たぶんそう言っていたと思う)

無収穫で帰らずに済んだ。努力を形に残すことができた。安堵感に包まれる。緊張がほぐれる。
あとは気楽に次々に登場する出品物と競り合いを眺めて楽しんだ。

その時、オークショニアの「ヴォラピュク」の言葉に、私は反応した。

えっ、なに? ヴォラピュク? ギョッとして、あわててリストを探す。あった。
Cours complet de Volapük Aug. Kerckhoff, 144p Paris 1886」。フランス語なのだろう。「ヴォラピュクの習得課程」? テキストなのか。
ヴォラピュク・・・・今ではすっかり幻の人工語である。19世紀末、エスペラントに先んじて考案され、ヨーロッパでは一定の支持者を得たものの、エスペラントの登場等によりすっかり廃れた言語だ。
こいつは貴重かもなと私は思ったのだが、同様に思った人も結構いたようで、たちまち値がつり上がっていく。途中で私も一度だけ手を挙げてみたが、粘らなかった。最終的には1万円は超えたと思う。まあ私が買ってもヴォラピュクどころかフランス語もわからないのではどうしようもない。

一番変わった出品物は、「2008年ロッテルダム世界大会での名簿1番」だろう。次回のエスペラント世界大会で配られる大会資料の名簿に、1番目に載せてもらえるのである。
意外とこれが人気があって(笑)、たちまち手が挙がり、最終的に15,000円で落札された。

予定終了時間の3時半を少し過ぎてすべての出品物は落札され、大いに盛り上がったオークションは満場の拍手とともに終了した。
落札物は、渡されたメモと落札額1万500円とともに交換。少し並んで、メダルは私の手に渡った。
最初見たよりずっと立派なメダルである。満足。
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(大会会場にて、落札したばかりのメダルを見る)


今回の同行者が同時刻に別会場で開かれていた入門講座「90分でわかるエスペラント語」から帰ってきたので、2人一緒に会場で写真を撮ってもらうことにした(ちなみに、入門講座はとてもおもしろかったそうだ。行きたかった!)。
せっかくだ、日本人でない人にエスペラント語でシャッターを依頼してみよう。
目をつけた暇そうに椅子に座っている白人の中年男性に、
Pardonon ! Bonvolu, foti nin.(すみません。私たちを撮ってください)」。(注)

2人連れが近寄ってきてカメラを差し出されりゃ、たとえヴォラピュクで話しかけようとイド語で話しかけようと、意味が通じない人はいないと思うが、おっさんは我々の写真をちゃんと撮ってくれた。
わが同行者も、わずか数十分前に習ったエスペラント語でおっさんに、
Dankon ! (ありがとう!)」
(注:たぶん合っていると思うがちょっと自信がない。)


夜。
横浜は昼間の猛暑もさすがに過ぎて、さわやかな夜風と美しい夜景で、すばらしい気分だった。私たちは予約しておいた日本料理レストランでささやかな祝杯をあげたものである。
Toston !(乾杯!)」
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(横浜の夜景)

・・・・大会ネタ、終わりませんでした。続きがあります。また明日。