徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

G^is revido , U.K.!  さらば世界大会 ~閉会式~

横浜インターコンチに1泊して、翌11日は今回のエスペラント世界大会の閉会式である。せっかくなので、ちょっと閉会式の様子をのぞいていくことにした。会場はパシフィコ横浜のとなり、みなとみらいホール(大ホール)。実に立派なホールである。
我々がホールに着いたとき、すでに閉会式は始まっていたのだが(10:00開始)、扉を開けると、舞台上に、見たこともないほどの巨大な緑星旗(注)がババーン!
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こりゃすげえ。カッコイイ!!(笑)これを見られただけでも寄った価値はあった。
(注:エスペラントのシンボルとなっている。)

閉会式では表彰式?も行われていた。
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画像を見てもわかるとおり、壇上にはピアノが置かれている。最後までいなかったので不明だが、もしかしたら最後に全員でLa Espero (エスペラント賛歌)(注)でも歌うのではないだろうかとあとで考えた。そうだったらいいのになあ。
(注:いい曲である。)
しばらく様子を眺めていたが、途中で退席。

今回の世界大会、思った以上に、満喫した。実によい体験になった。刺激を受けたし、発見も多かった。
正直、エスペラント語が将来、今の英語の地位に取って代わることはないだろうと思っている。だからといって、エスペラント語の存在意義などない、なくなってしまってもかまわない、などとは絶対に思わない。
一説には、エスペラント語の話者は世界に100万人いるともいう。それが多いか少ないかは、人によって考えも違うだろう。だが、たとえ話者が少なくても、この言語は貴重な言語学上の実験であり、またかけがえのない人類の文化的財産だ。
かつて多くのエスペランティストが、その理想のために、危険視され、弾圧され、時に生命を奪われた。それでも滅びることなく、こうして21世紀の現在も確実に支持されているのだ。
そう思うと胸が熱くなる。がんばってほしい、と心から思っている。

最後に、今回落札してきたメダルについて、補足しておこう。
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表面には「LUDOVIKO LA ZAMENHOF AU^TORO DE ESPERANTO 1859 1917」とあり、裏面には、「ザメンホフ生誕100周年に敬意を表して ワルシャワ」とエスペラント語で書かれている。つまり、1959年に製造されたメダルだ。直径約70mm、厚さ約5mm。
1959年の第44回エスペラント世界大会はワルシャワで開催されている。もちろん、ザメンホフの生誕100周年を記念して、ザメンホフの祖国ポーランドで開催されたものだ。
そして、その時の作られた世界大会バッジこそ、私が初めて手にしたエスペラントバッジであり、私がエスペラントバッジに関心を持つようになったきっかけであった。
因縁といえば因縁かもしれないが・・・・ま、こんな因縁だったら歓迎である。

ザメンホフ先生、我が家で大切に飾らせていただきます・・・。


エスペラント世界大会の参加記録は今回で終わりです。一応。