徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 訪日伯国経済使節団(1936)バッジ

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今月18日は、日本人ブラジル移民100周年記念だったそうで、ブラジルでは記念式典が行われた。今やブラジルは、海外で最大の日系人が住む国である。
第一回芥川賞受賞作である石川達三の「蒼氓(そうぼう)」や、北杜夫の「輝ける碧き空の下で」など、昔読んだ小説が懐かしい。どちらも傑作だ。

それまで主な日本人移民先であった北米では、1924年アメリカで排日移民法が制定されるなどしたため、コーヒー景気にわく南米が移民受け入れ先として人気を集めた。初めはコーヒー農園や鉄道敷設事業の労働者として受け入れられた日本人移民の中だが、次第に経済的な成功を収める者も出てくる。
とはいえ、少なくとも初期の移民は、当時は奴隷制度がやっとなくなったばかりのブラジルで、慣れない環境での過酷な労働を強いられた。
それでも海外を目指す日本人は後を絶たなかったのだから、当時の日本がどれほど困窮を極めていたか、想像に難くない。ブラジル移民100年の歴史は、まさに苦難の歴史そのものである。

さて、今日のバッジは、「訪日伯国経済使節」のバッジ。「伯国」とはブラジル(伯剌西爾)のこと。これら経済使節団にも、日系移民の果たした役割は大きかったろう。
裏面には漢字表記と、ポルトガル語で「MISSAO ECONOMICA BRASILEIRA 1936」とある。
パッと見からして、とても美しいバッジで、ブラジルと日本国旗を並べただけのデザインながら、磨かれた七宝が銀の地肌によく映え、高級感が漂う。
このバッジが日本製がブラジル製か、一瞬疑った私だが、よく見れば裏面に小さく「純銀」の刻印があることから、間違いなく日本製バッジである。

第二次世界大戦ではブラジルも連合国側として参戦、日本との通商関係は途絶。在ブラジル日系移民も敵国にとっても苦難の時代であった。
もっとも、日系移民が強制収容所に送られたアメリカとは違って、民族差別感情が希薄なブラジルでは、そのような扱いを受けることはなかったというのが、少しだけ救われる気持ちになる。