テレビで北京の様子を映していたが、どうにも大気の状態が悪い。この時期の北京は、「北京秋天」という言葉があるほどのさわやかなベストシーズン、抜けるような青空のはずが、晴れているのにまるで曇りのような天気。経済成長を遂げるのも難事だが、環境問題をクリアするのにどれほどコストと労力を要するのか、中国はこれから身をもって知るはずだ。まあこれは、中国だけでなく、インドやブラジルなどでも同じ話だけど。
この頃の中国はどうであったか。
1957年には反右派闘争が起こり、第2次台湾海峡危機もあった。1958年には大躍進運動が始まった。国内産業は非科学的で狂信的な増産体制がしかれ、結果は大失敗、大量の餓死者を出すに至った。この経済政策の失敗を受けて、1959年には毛沢東が国家主席を辞任。1959年にはチベット動乱と中印国境紛争が勃発した。こうして列挙するだけでも、この頃の中国は凄まじい時代であったと改めて思う。
1957年には反右派闘争が起こり、第2次台湾海峡危機もあった。1958年には大躍進運動が始まった。国内産業は非科学的で狂信的な増産体制がしかれ、結果は大失敗、大量の餓死者を出すに至った。この経済政策の失敗を受けて、1959年には毛沢東が国家主席を辞任。1959年にはチベット動乱と中印国境紛争が勃発した。こうして列挙するだけでも、この頃の中国は凄まじい時代であったと改めて思う。
しかし、この斬新なデザインのバッジには、そうした深刻さは一切ない。ついに建国から10年目を迎えたという祝賀ムードが感じられるだけである。
この後、毛沢東の失政による傷を癒し、経済を発展させるべく、劉少奇、鄧小平らが中国を率いていくこととなる。だが、中国の政治は、短い経済重視の時期を経て、やがて現代史に特筆すべき異常な政治闘争、文化大革命の時代を迎えることとなる。
【関連の既出項目】
建国記念バッジ(1949年)
国慶節記念バッジ(1952年)
国慶節記念バッジ (1951年)
国慶節記念バッジ(1959年)
マカオ製国慶節記念毛バッジ(1968年)
国慶節記念バッジ(1984年)
建国記念バッジ(1949年)
国慶節記念バッジ(1952年)
国慶節記念バッジ (1951年)
国慶節記念バッジ(1959年)
マカオ製国慶節記念毛バッジ(1968年)
国慶節記念バッジ(1984年)