徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

アメリカ ロサンゼルス広島県人会バッジ

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前回はアメリカのフリーメーソンバッジを紹介したところだが、アメリカには他にもいろんな結社がたくさんある。フリーメーソンを筆頭に、オッドフェローズ、ロータリークラブ、ピティアス騎士団、コロンブス騎士団、グレーンジ、レッドメンなどなど・・・。マフィアなどを含めてもよいかも知れない。

最近ではこうした結社もかなり下火のようだが、何でこんなに盛んなのかと考えるに、まずアメリカが移民で成り立っている国だからであろう。文化的に出身地から切り離された移民たちが、全く異なる環境で新たな社会を形成しようとするとき、様々なクラブ=結社の必要性も生じた。多くの結社は、互助や親睦を目的としている。

かつて日本では、戦前戦後を通じて計100万人もが移民として主にハワイ、南米、北米へと渡航した。21世紀の現在、日本では将来的に労働力不足に陥ることが確実視されており、移民受け入れの問題を真剣に検討しなければならなくなっており、うーむ、時代も変わるものである。

さて、今日のバッジは、アメリカのロサンゼルスにおける広島県人のバッジである。この県人会というのも一種の結社といえるかも知れない。バッジのツクリは古そうで、間違いなく戦前のモノであろう。
アメリカ国旗と、なぜか日章旗(日本国旗)ではなく旭日旗(日本軍旗)がクロスしているのだが理由は不明。おそらく、星条旗日章旗の対比上、日章旗ではシンプルすぎるとのデザイン上の理由で旭日旗を採用したのかもしれない。でもそれって本来はやっぱり違うよねえという気もするが。

広島県は、沖縄などと並んで全国有数の海外移民県である。移民会社の活動や県民性なども理由としては挙げられるだろうし、土地を持たない農民の環境が厳しかったということも大きい。
アメリカでは移民の出身地ごとに県人会が設けられ、互助会としての役目を果たしていた。ロサンゼルスの各県人会の中でも、広島県人会は最大勢力であったろう

このバッジが作られたロサンゼルスは、アメリカ最大の日本人街リトル・トーキョーが作られたところでもある。が、1924年には排日移民法、1942年には日本人移民の強制収容など、歴史の荒波に容赦なく襲われることとなる。