徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 文革期毛バッジ「青海八一八紅衛戦闘隊」

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とも遠方から来たるありまた楽しからずや、という論語の言葉があるが、昨日は新年会を兼ねて北京で働く友人の一時帰国歓迎会に参加。久しぶりの集まりであったが、楽しかった。

で、さっそくその時おみやげでもらった毛沢東バッジを紹介したい。調べてみたら、なかなかおもしろいものがあったのだ。
友人は、休暇で北京から青海省まで旅行に行き、その時入手したものだそうで。わざわざ買ってきてもらえるなんて、ありがたいことだなあ。

青海省・・・ウイグル自治区チベット自治区に接する、はるか西方の地だ。私も行ったことはない。
やっぱり中国の地方に行ったら、その土地ならではのバッジが欲しいモノである。もちろん、北京や上海といった都会のマーケットなら中国全土のバッジが手に入りはするが、それだけではやはりもの足らないものだ。

いくつか文革期毛バッジをもらったのだが、その中にひとつ気になるものがあって、それがこのバッジだ。
解放軍型星形バッジに似たバッジで、軍服毛沢東肖像と天安門、そして下には「三.二四」の文字。このデザインからして、1967年頃の作ではないかと推測ができる。
裏面には、「青海八一八紅衛戦闘隊」とある。

1966年8月18日は、初めて毛沢東も謁見した紅衛兵大集会が北京の天安門広場で開かれた日であり、この日を記念してか「八一八」の名前を冠する紅衛兵組織は少なくない。
それはよいとして、気になったのは表面の「三.二四」の文字である。こちらはいったい何を意味するのだろう?

そう思って「中国文化大革命辞典」(中国書店)を調べてみたら判明した。
青海八一八紅衛兵は、青海省の中学・大学生からなる紅衛兵組織で、1967年2月、激しい奪権闘争を繰り広げて解放軍相手に武装闘争を展開、大勢の死傷者を出したあげく、組織幹部が逮捕されるに至った。「青海省2.23事件」である。
ところが、中共中央・文革中央小組は紅衛兵組織の方を支持し、解放軍が大衆を弾圧したと激しく批判。中央の支持を受けて形勢が一気に逆転した。
そして、中共中央による「青海問題に関する決定」が発表されたのが、1967年3月24日なのだった。
つまり、「3.24」という日は、この紅衛兵組織にとって、中央=毛沢東からの支持を受けた、勝利の記念日なのである。

激しい奪権闘争と中央からの支持を受けたことにより、「青海八一八」は全国的に有名な有力組織となり、この後成立する青海省革命員会でも重要な地位を占めることになったという。

たった40年前のことながら、改めてみてみると、あの当時の中国がいかにすさまじかったか、思い知らされる。何の変哲もない毛バッジながら、込められた歴史の熱さは、恐ろしいばかりである。

もっとも・・・と私はあえて付言しておきたい。
文化大革命、あの暴力すら伴う大規模な大衆政治運動によって、社会の矛盾を一気に解消しようとする試みの結果がどうであったかは、その後の歴史がすべてを物語っている。
文化大革命の教訓は何かという問われたら、あのような方法では社会の問題など全く解決することはできないということだと、私なら答えたい。
現在の中国が、ますます激しい社会矛盾を抱えるようになっても、もはや同じ過ちを繰り返すことだけはないと、信じてはいるのだが。